運というものを深くほりさげてみると、題記の通り。報いをうけるための要素です。
人に何かをもとめたら何かが返ってきます。それはいいも悪いもありません。
あの人を追い出したい、と求めると、他者の思いとぶつかりあって、ますます対立が生まれることもありますし、
相手に認めてほしいと求めると、認められて返ってくることもありますし、ただ苦しみとして返ってくることもあります。
求める、ということは何かが返ってくるのです。
少々たとえが悪いですが国でみるとわかりやすいでしょう。お隣の国は日本に様々なことを求めます。そして求めたものがすべてかえるわけでなく、国民の悪感情という形でも返ってくるものもあります。
誰かを憎しみ、いなくなってほしいと思いを相手にむければ、その分何かからの憎悪が自分に返ってきて、さらにイライラや怒りが募ります。なんでなんだ、なんで自分ばかり、不公平だ!と他者に思いをぶつければ、その分自分もなにか負を受け取ることになり、沈んでいくのです。
求めなければ苦しまない、求めてしまう、憎んでしまう憎悪や悪魔や役、妖怪、思いをはずしていけば、求めなく、楽になっていくものもあります。
少し話がずれましたが、「求めなければ負も来ない」というのが大前提ではありますが、それでも「あの人の心が欲しい」「あの仕事が欲しい」ということは生きていれば必ずあるものです。
その求めに対し、望んだ、あるいは好ましい報いを受けるための要素が「運」にあたります。運がよい、運気の流れの良い人は、求めたものにたいして求めたものが与えられやすい傾向にあります。ところが運気の尽きたもの、運の悪いものは、求めたものに対して望ましくないものが来る傾向にあります。
相手に認められたい、よくしてもらいたいにもかかわらず、相手から認められない、悪い対応ばかりされる、というのは「求めたものに対しての報いが望ましくない」ことです。
運を保持しておきたいのであれば、求めることをやめること。それでも求めてしまう、こうしてほしい、こうだったらいいのに、と思うその思いごと、はずしてしまうこと。
ここぞ、というときに、どうしようもなくなったときのみ求めること
運の量をキープすべく、徳をためること。よい睡眠をとることです。
どうしようもない、報われないことばかり、というときには全体運の補修・拡張にプラスして、自分の中の「相手に求める」思いをきちんとはずすことです。自分で自分の思いがわからない、求めているかどうかもわからないという場合は鑑定等をご利用ください。