お金、というのは結構古くから、それこそ古代から人は妄執してきたものであって、それなりに歴史深い罪やカルマがのっかるものでもあります。
たとえば、お金を自分の代わりにして働かせたりすること、
それを投資とかギャンブルといいますが
自分が本来なにかを働いて、その証として得る、お金とはそれだけのことなのに
将来の不安や、将来はたらきたくない、休みたい、という妄執から
人はそうだ!お金でお金を産もう、という機構をうみだしました。それは紀元前からあります。
利息でもうけよう、というやつですね。
自分の代わりにお金にはたらかせようと「代わり」をすること、
つまり自分の「代わりに」お金になにかしてもらうということは
お金に自分がとってかわられるということです。
お金に自分がのっとられる、とってかわられるということは
投資など、お金でお金を生むことをすればするだけ
自分というものはお金にとってかわられるのです。
お金がないと不幸だ、お金がないとつらい、お金がないと自分に価値がないと
自分がお金というものでとってかわられ、換算されることになるのです。
自分というものをお金の在る無しで価値をきめてしまう。お金というものに振り回される。お金を自分の代わりにする、ということはそれだけお金が自分の代わりに成り代わられるというリスクもはらんでいる、ということを頭のすみっこに入れておいてください。