情報=不自由であるということ

投稿者: | 2026年9月13日

先日「情報というものはあればあるほど不自由になるもの」というお話がおりてきました。

いろいろな情報が蓄積されれば、いろいろな情報があればあるほど、実は方向性がどんどん狭められている、ということです。

例えば車を買おうとします。自分はこういう車が欲しくて~と一番最初に買おうと思っていた車について調べたら、どうもあれこれ評価がよくない。数年後の市場価値も下がってリセールもおちる。じゃあ別の車種にするか。今ならこれが評価がいい。リセールもいい。じゃあこれが正解か・・?とどんどん選択肢がなくなっていき、「これじゃないと正しくないかも」というところにはめ込まれてしまうわけです。情報を集めれば集めるほど、自分がどうしたいか、どうなりたいかよりも「正解はこの道くらいしかない」になっていきます。

大人になってなにかはじめようにも、いろいろな情報によって「これはだめ、これはこう」と始められないように、ネットでみたこれは評判がよくないからとお店を開拓できないように、

情報があればあるほど自分たちは「不自由に」なっていくものと理解しておくこと、

理解したうえでそれが不自由からの恣意的な選択だと理解しておくことで自分の選択のしかたを変えられるかもしれません。

何か購入したあと、執拗にその商品の情報をしらべて「もっと安くかえた」「こっちのほうがよかった」それもまた自分自身を不自由にしていきます。

なにかを選ぼうとしたときに失敗したくないと調べていき、蓄積しているうちに、どんどん自分自身の思考と選択を不自由にしている、不自由というのは「情報によってつくられているものである」というのを頭にいれておくのもよいかもしれません。

情報を収集していくうちに可能性をどんどん喪失していくとおもえば、ある程度自分が「やってみたい」「失敗してもいいから可能性に挑戦してみたい」という決断も必要なときもあるのでしょう。

また、情報があればあるほど世界というのは不自由になっていきます。不自由になれば、人間はだんだんと不満を抱えていきやすくなります。常に不自由だ、というのに縛られていると無意識から感じ、ちょっとしたことでもきにさわったり、放出しやすくなり、ちょっとしたことがトリガーになります。

怒りやすい、着火しやすい、ちょっとしたことで気持ちがふれやすい、そういう場合には一度「情報」というものをなるべく摂取せず、そういうものにふれず、自分の自由で何かを選ぶ、気持ちやその時のこれがいいな、という直感でものを買う、気まぐれになにかしてみる。そういう「自分の選択やなにかの自由」にて発散する、というのを心がけてみてもいいかもしれません。