いつもごらんいただきありがとうございます。
おうちに神棚がある方、ない方もよければごらんください。
神棚がある方は、毎日お水だけでもしっかりかえられてください。おうちにお迎えしたおふだなとおありだとおもいますが、別にそれを粗末にしたからといってなにかバチがあたるということはございません。ただ、その神様のご神徳がいただけないだけでございます。ここで、罰があたるだの、よくないだのそういうネガティブなことは神様いっさいございません。神様はマイナスのない方々。フラットの状態から+、喜びのおおい方々です。まずそこの観念とりはらってください。
毎朝わたくしの主人がお水と酒(ないときはさしあげません)、畑でとれたもの(これもあるときのみ)、こめ、塩をおそなえしております。そのあとわたくしも手をあわせます。これはおうちをまもっていただく対価としてさしあげておるものです。また、いつもありがとうございますという感謝をしめしております。
ここ2週間、6日まるまる、そしてこの土日もまた遠出して千葉、江の島、青梅と神社を巡らせていただきました。雷や大雨に遭遇することもありましたが、なんとかお導き通りに参らせていただきました。
不思議なことに、神社にいけばいくだけ、おうちの神棚の重さが重くなっていくのです。よくない重さではなく、威厳をますというか、厳かになっていくというか、そういう不思議な感じでもうじっと見ることすらできず、主人も「うちの神棚なんか・・・直視できないんだけど」というくらいです。なぜなのですかとうかがったところ衝撃なお話しが。
神社に参拝して、きちんと対価お支払いしてお願い事をするのですが、この対価が多かった場合、なにかで払い戻しがきます。さしあげたものが3000円、対価として2000円だったばあい、1000円の余剰のエネルギーが浮きます。その浮いた分や、神々から頂戴したエネルギーやご神徳などそういうものが、家の神棚にあたかも銀行のごとく預け入れられているのだそうです。今後、なにか必要なものがあったとき、あるいはなにかおおきな災厄があったとき、家の神棚にお願いもうしあげると、そこからの払い出しが行われるのだそうです。
「えっ?そんな貯金箱みたいな機能があったの!?」と夫婦ともどもおどろき、なら必要なときにこれは払い出しさせていただこうね、とお話しいたしました。
なので、神社にいってお賽銭おさめたとしても「はらいすぎた」ということはありません。かならずそれはかえってきます。おうちに神棚のないかたはその貯金箱が自分の体一つですので、大きくためることはできません。できれば、おひとつ小さくてもよいのでおうちにお迎えして、お水だけでもよいのできちんと毎朝取り換えて。神社にいったらきちんとお賽銭してお願いして、あますことなくご神徳いただくようになさればよいなあと思いました。
また、千葉の玉前神社に詣でたとき、玉依姫さまより一つエネルギーをいただきました。「玉依姫さまの恋文」という矢に紅白の水引のついたビジョンが見える縁結びのエネルギーになります。ひととひとの縁を結ぶということで、男と女、母と子、この縁をむすびたまうそうです。和風キューピッドさまの矢ということでしょう。矢文というのがなんとも古風で素敵だと思います。アチューメントというより、矢だけをいただきましたので、どうつかうか、対価はどうすればいいかをききましてまたご提供したいと思います。