この一か月、この3つがテーマとして出てきて、その全体像をつかむのに非常に時間がかかりました。更新がおろそかになったのはこのテーマにとりくんでいたのもあります。
さて、以前運命とは「相性と共鳴だ」というお話しをしました。
ではなぜ共鳴をし、相性をとおすのか。
共鳴を起すのは内なる悪魔であり、妖怪です。正悪です。同じ運命を持っていれば、相手と共鳴し、対抗心を同じく持っていれば、共鳴してぶつかり合う。同じこれが正悪をもっていれば、共鳴し合う。同じ周波数を持っていれば、共鳴しあって、お互い親近感を感じたり、怒りを感じて反発して、相手と相性がついて罪カルマを通しあいます。
また、相性がつくにはもう一つあり、「相手を求めたから」相手とつながって罪カルマを通すのです。
この二番目、相手を求めたから、相性がつく。この真理をつくる機構が不都合と不釣り合いと二人の征服です。とはいってもなんのこっちゃでしょうから、文章もながくなりますが、説明していこうと思います。
不都合とは何か
神様は人に「幸せ」をつくっていませんし、人を満たす、ということもしていません。
これが「幸せ」というテンプレのようなものを作っていないのです。結婚するのが幸せ、子供を産むのが幸せ、大きな家を持つのが幸せ、会社で和気あいあいと和やかにするのが幸せ、働かずに不労所得を得てのんびり暮らすのが幸せ。それは人が勝手にこうありたい、こうでないと、と作り上げたゆがんだ道理です。
これが幸せだ、と思えば、そうでないものは不都合になります。
子供が欲しいのはできないと不都合。働かないのが幸せなのに、働くのは不都合。結婚するのが幸せなのに、結婚できないのは不都合。夫に食べさせてもらうのが幸せなのに、そうでなければ不都合。認められてすごいね、と言われるのが幸せなのに、そうでなければ不都合。自分のつくった作品が認められる、お金が入るのが幸せなのに、そうでなければ不都合。賢く五体満足な子供が幸せで、そうでなければ不都合。愛されることが幸せで、そうでなければ不都合。
不都合がおこればどうなるか。人はその不都合に蓋をします。不都合に蓋をすることで、その蓋が重くのしかかり、自分に負荷をかけます。
働きたくないのに蓋をして働いている。体が重っくるしい。結婚できないのは相手がいないからよ!と思い、蓋をするけれども蓋が動き出してはイライラする。蓋できなくて漏れ出した押し込めても、自分の容量が小さければはみ出て他者にぶつけてしまいます。こんなはずじゃないのに!と怒りの矛先を他者にぶつけるわけです。
不釣り合いとは何か
相手から与えられたものに対して、自分の中で天秤を合わせようとする無意識の働きです。
相手が自分を無視した。嫌な気持ちになった。その嫌な気持ちになったから、相手にも嫌味で返す。
子供がいうことを聞いてくれなかったから、子供に対してもおやつをあげないなど嫌なことで返す。
男の人になにかもらったとしても、それをもらってもなにも返せないから、不釣り合いだとおもって嫌だ、受け取りたくないと思う。
転職し、他の人と経験が釣り合っていないから、早くおぼえなければ早くつり合いをとらなければと思う。
友人はお金やいい奥さんに恵まれているのに、自分は不平等だ、つり合いが取れてないと天を恨む。恵まれている人が失態を犯したり、不幸になればああすっきりしたと思う。
自分が働いておらず、伴侶に働いてきてもらっている。だからこそ、釣り合うように、ふるまおうとする、相手の負を受けとって精算しようとする。
誰かが働いていると、自分もうごかなければ不釣り合いだとおもってここrが褪せる。
自分が働いているのに、他人が働いていないと不釣り合いだと憤る。
平等で、つり合いが取れていなければならない、と無意識からつり合いをとろうとする。それが不釣り合いの征服です。
不釣り合いが生じれば、それを釣り合わせようとする。釣り合わせるためにも対抗心も入ってきます。
二人の征服とはなにか
不都合があり、不都合を合わせようとする、不釣り合いがあり、つり合いを合わせようとすることを、自らでできず、人に求めれば二人の征服が生じます。
働かないのが幸せ、働くのは不都合。その不都合を都合よくするために、「かわりに」働いてくれる人を求めます。求めて当たられればそこに征服関係が生まれます。
征服とは、恵みを求め、与えられ、相手に敬服し、運命をともにすることを指します。
仕事において自分はその職に不釣り合いだ、どうしようと思えば、誰かに教えてもらおうと求めます。
認められることが幸せだと思えば、認めてもらいたい、と人を求めます。
認めてもらえることが当然だと道理をつくり、なのに評価が釣り合わないと思えば認めてもらえるところを探し、人に認めてもらうことを求めます。
求めることで、与えられる。それにより二者間で征服関係が生まれる。すなわちこれが相性やあいしんがつながることでもあります。
自らの中で道理をつくることによって、不都合がうまれ、
不釣り合いだと天秤をつくって枠をつくって不釣り合いに支配されることで、その不都合を蓋をするために相手をもとめ、不釣り合いを解消するために相手をもとめ、求めることで与えられ、相手に支配されることで、離れられなくなったり、相手のなにかを許さなければいけなくなり、運命をともにしていくのです。運命をともにすれば、相手と魂の重さが等しくなるように罪やカルマが入ってきます。
同じくらい重ければ支障はありませんが、相手が重ければ、あるいは自分が重ければ釣り合うようになっていきます。
二人の征服により、縁がとおって相性がつながる。すぐすぐというよりも時間をかけてだんだん等しく重くなっていくわけです。