一か月に一回は更新していこうとおもっているのですが、月日が流れるのがはやく気が付いたら二か月経過しておりました。先日一年がはじまったばかりとおもっていたのに、もうあと5か月ですね。はやいものです。
さて、最近は「精神」についていろいろ降りてきていますし、クライアント様の相談でも「精神」について取り上げることがおおいので、ちょっといまわかっていることをまとめます。
「精神」とは肉体と魂をつなぐもの。なのだそうです。
本来魂にあるものが外界に反映します。極端にいうならば、魂が極悪な人は、精神がすなおに肉体とつながっていれば、あたかも極悪な人、として外界に見えるのです。
逆に精神がいびつであれば、内面真っ黒でも、外からみたら無害に見えます。
魂がうしなわれて、もうぎりぎり状態だとしても、精神が肉体と魂をすなおにつなげていなければ、それが外界には現れず、本人も自覚ないままにふつうに生活するでしょう。そしてなんらかのきっかけに、たとえば気が緩んだとか、自分自身をみつめなおすきっかけがあったとか、そういうものでパスがつながれば、一気に魂の状態が外界に反映して、なんの脈略もなく動けなくなってしまいます。
精神を鍛えるとか、精神的な成長というのをよく耳にしますが、精神というのは鍛えられるものでも成長するものでもありません。ただ、自らの内側、魂を外界に「投影」するためのつなぐものです。
そこがすなおではない、歪んでいる、自らを覆い隠してる、自らの内側が貧弱だから外にだしたくない、自分なんか出してしまったら嫌われる、自分というものが苦手、嫌い、そういう「ゆがみ」によって魂と肉体が上手につながらなくなってしまえばいろんな弊害が生じます。
魂の消耗に気づかず、ある日突然くずれおちたり、逆に魂があるのにそれをうまく外にだせなくて自分自身を発揮できなかったりと様々です。
下手に鍛える、成熟する、自分はこうでないといけない、というよりも、
まずストレートに自分のうちが外にあらわせているか、自分をだせているか、そこをかんがえてみてもいいかもしれません。