これもよく聞かれます。生まれたときから人間の運命は決まっていて、結婚も、相手も、寿命も決まっている。それを知りたい、とよく聞かれます。
答えはYESでありNOです。
たとえば大病にかかったとします。その時に「この病はなおりますか」と話をおろしたとしても「まだ決まっていない」と降りてくることがあります。その時にはなおるかなおらないのか、まだ未定なのです。ですがある時に、なにかでもうルートの分岐や可能性がなくなって「なおる」と「確定」して降りてくることがあります。
未来というのはたくさんのルートや分岐、可能性があって、その可能性の中みな進んでいくのです。その中で「もう可能性がこれしかない」というときには「確定」します。その時にはもう何をやっても覆せないときです。
また、「絶対その運命がない」ときも「それ以外の運命」は確定になります。一生結婚できない、という運命がない場合には「まあいつかどこかで結婚するでしょ」になるわけです。
だから、どこでだれと出会うか、どこで就職するか、どこで死ぬか、そういうものはたくさんの可能性が自分の道にはあるのです。きまっているからこうだ、きまっているから楽にその道を行きたいと思うのは間違っています。未確定なところがたくさんあるのだから、自分で歩いていけばいいのです。
ですがここで落とし穴がありまして。
うっかりね、神仏かなにかにね「自分にふさわしい相手がほしい」「自分にピッタリの仕事が欲しい」なんて願ったりして、それが盟約になって、受諾された場合、ともするととても面倒なことになります。
たとえばご自身の直近で自分にふさわしい相手がいないとします。いま20歳で、相手を探している。神頼みしまくった。しかしその「本人にぴったりの相手が20年後にしか現れない」とします。そしてその相手と出会うルートが、今後自分の前にある道A/B/C/D/Eの道の中、Aルートしかとれなかったとしたら、残りの可能性は全部潰れます。
その中にはもしかして穏やかにあれる相手がいたかもしれない、なにか別の仕事についていたかもしれない、熱中できる趣味があったかもしれない。そういうルートすべて強制的につぶされるんですよ。何万もある道が全部つぶされるんです。
まあなるようにしかならないといえばそれまでですが、自らの可能性をつぶしたくないならそのあたり考えてみてもいいかもしれません。
ええとなんの話でしたっけ?そうそう、運命は確定しているかどうか、ですが「もうこのルートしかとれない」人間にとっては運命は決まっているでしょうね。そう決めて生まれてくる人もいますし。
ですがたいてい、ほぼ99.999999%の人間にとっては分岐がたくさん、ルートもたくさん、可能性もたくさんある、それが運命です。確定するまであがけるのですから、どうぞ自分で自分の目的にむかって、自分の売り方、みせかた、努力の方向を決めてみてください。