先日の夢で、白い観覧車に乗っていました。
ひとつ前の観覧車には母が一人乗っており、一つ後の観覧車には娘が一人乗っていました。
観覧車に乗った、というのは覚えているのに、ひとたびその中に入ると、観覧車の中にいることもふわっと忘れ、普通に生活を続けています。降りるタイミングを過ぎたところで「ああ、また下りれなかった、次こそは」と思い、気が付くともう5週目。そろそろ下りなくては、とおりて、前後の母や娘も降ろさなくては、と思ったところで目が覚めました。
これはどういう夢なのか、と聞いたら、観覧車は家系を表していて、みなその家系の中で何度も生まれ変わっている。むろん、婚姻や様々な要素もあるが、系譜の中で魂は繰り返している。だからこそ、先祖供養して系譜に連なる魂がもどってこれるようにしなければ、子供は生まれなくなっていく、という道理なのだそうです。
自分がその系譜から外れる、というのはそれこそ並大抵の修行でなく、その系譜からはずれるだけ因果をたちきらねば、気が付かないうちになんどもなんどもその家系に生まれてしまう。乗り過ごし、ぼやぼやしていると同じ系譜の中で生まれてしまう。よく家系の因果を断ち切りたいんです、そこから抜けたいんです、といっても、なかなか難しいのもよくわかりました。なんせ、一度観覧車にのってしまうと、そこが観覧車の中であることすらわからない。おりなきゃ、という気持ちすらなくなり、わからなくなってしまう。乗り過ごしてまた同じことをくりかえしくりかえしやってしまう。難しいものだなというのが改めて理解いたしました。
さて、人の魂というのは人と同じ形をしている、というお話しを以前したことがありますが、その魂は分厚い殻に包まれています。
この暑さはひとそれぞれ、うすくてぺらぺらもありますし、ものすごい固い殻のものもあります。
殻の中は自分の魂であり、自分の世界です。
その中に悪魔やら妖怪やら、罪やらなにやらたくさん詰まって、重くしているものだと思ってください。
他の人から、干渉されたり、相手の重いや命や、無視、そういったものが通ってきたとき、その殻は壊れます。壊れると、人はいらいらします。人の念や意思、思いが通ってきたとき、その殻にアタックされ、壊れると人はイライラします。
魂どうしが接近したときに、その魂の中にあるものが共鳴し、相手の意識に引っかかります。なんとなく相手のことが理解できたり、相手がいいなとおもったり、なんだか苦手だとおもったり、ムカッとしたりするのも、相手の中のものと自分の中のものが共鳴するからです。
共鳴することで、相手を意識し、相手もまた意識したときに、お互いの殻がちょっと壊れて、そこに相手とパスがとおります。これが相性です。
パスが通れば相手の中ものが流れ込んできますし、自分の中のものも流れ込んできます。お土産をもらうのです。相手のお土産をもらうと、どうしても相手のことが気になり続けてしまいます。相手と相性がつながりっぱなしでも気になり続けます。いつまでも特定の人を忘れられないというのは、相手のお土産をかかえっぱなし、相性つきっぱなしなのかもしれませんし、なにかそのことで学ぶことがあるからなのかもしれません。