さて、パスワード記事です。パスワード記事ですから、表だって出せないことを堂々とかこうとおもいます。裏なのでちょっと砕けた感じで。
いま、この世に「かみ」はいません。此の世に干渉しない、とおかくれになっています。
じゃあ、神社で祀られているのはなにかというと上級悪魔です。皆さんおなじみのミカエルさんもラファエルさんもガブリエルさんも、なんなら天照大御神さんだってこれ「悪魔」です。
「聖なるフリをしているが悪魔だ」と神様いうところの「聖なる悪魔」です。
もうこの時点で表に出せないこと出せないこと。バチカンに怒られる。
天使が堕ちて悪魔になるんじゃありません。清浄な悪魔から穢れた悪魔になっただけです。
これ悪魔、というから御幣があるんですけれども、要するに「神」という存在はもう地上には関与しない、去る際に、責任とって神の代わりに此の世で人に影響するもの、として代理で建てられたもの、人のために存在するもの、運命をつくるもの、そういった「モノ」として存在しており、
清浄であり、正しくあり、悪を断罪するもの、人にどちらかというと善しとされる運命を作るものが「神様」や「天使」とカテゴライズされ
不浄であり、人を欲にかりたて、享楽に更けさせるもの、人にどちらかというと悪しとされる運命を作るものが「悪魔」としてカテゴライズされているわけです。
その正体はみな「同じもの」です。
人間でもいい悪いがあるように、悪魔でも「いいわるい」があるわけです。
最初いた神様というのは人を「善きなるもの」として作ったはずでした。
人と神との間に征服関係を作り、この地上の管理人として作り上げたわけです。そして、神さまは人の求めに従い、いろいろなものを与えました。その機構が悪魔です。信仰心をあたえ、欲を与え、生きていくための対抗心や成功心も与えました。
ただ、運用していく間に、人はもう、神さまとしては手に負えなくなってきたわけです。
聖書でもありますね。もう人にかんしょうしない。と主は言われたわけです。
手を引くとはいっても、信仰は存在しますし、機構としての悪魔はそのままです。
よい「悪魔」は人の望みに応じて様々な運命を人に作ります。
運命を作る、というのはどういうことかというと、人の魂の中に「その運命をつくる悪魔」をぽいっと分御霊するのです。
結婚したい!というと「人と結ばれる運命」を分隊つかって与えるわけです。そうすると、同じような悪魔をもったり、その悪魔に呼応する悪魔があれば
その共鳴によって人は干渉しあい、結ばれます。
ちょっとまて、これだけ結ばれたい、結婚したいといっているのに結ばれないぞ!という場合はそれに反する悪魔がつよいか、なにかが制限かかっているか、結ばせないようにする内在する悪魔より強い干渉が入っているのです。
善たる悪魔の役目はその「運命をつくること」その運命によって「駆り立てること」「役をつけること」「助言を与えること」「ささやくこと」「魂を重くしないように、余計なものは祓ってくれること」です。
でも人というのは「それがよい働き」であってもぎゃふんという目にあうならば、悲しむ生き物なのです。
善い悪魔の計らいで、障害をもった子が生まれてしまった。これはその子をもってして、自分の中の重いものを可視化してくださったわけですが、人はそれに気が付きません。なんでだなんでだと不釣り合いを感じ、ともすると離婚したり、子供を捨てたりもするわけです。
お前の中にこれだけ直視しないといけないもんがあるんだからきちんと見えるようにしたからね。という計らいが
全く人は気が付きません。そして嘆きます、
そこで「悪い悪魔」が救いの手を差し伸べます。
こっちにいけばちょっとの間だけでも楽になれるよ、と快楽の道を示したり、逃避させたり、衝動に身をまかせるようにします。
これも「いいわるい」はないのです。
堕落するのも、欲にまみれるのも、他人を傷つけるのもその人にとっては「それしかない」救いなわけです。
悪魔にいい悪いも本来はないといえばないのですけれども
さらにこれに霊とかからんできたり、
人が勝手につくった道理がからんできたり、
悪魔によっても強い弱いもありますし、
妖怪の話も入ってくるともう人ってどんだけやねん!というのもありますけれども、裏記事で好きなようにつづっていきたいと思います。
ちなみに、本来の神様も、別に隠れていますが、干渉できないわけではありません。
ですが、いつだったかの記事でかきましたけれども
人の魂って殻に包まれているんです。
殻に入っていて、神様からすると見えないのです。
いや、殻にはいっていなければ、それこそ悪魔も霊も入れ食い状態になってしまうから、殻は必要なんですけれどもね。
それでも自分の中が空になってきて、悪魔もいなくなってきて、共鳴するものが魂になくなれば、殻なんて不要になってきて外れます。
そこで初めて、もとの 神様の干渉が大っぴらにできるわけです。
如来さんいわく「神とは友である」といっていましたから
すべてはずした如来さんくらいになれなければ神様とお友達になれない、そんな次元のお話しなのだと思います、よ。