「求めなくなったときに彼氏ができたり、なにか当たったり、妄執がはずれたとき、意識になくなったときに物事がうまくいくことが多い」
これは誰もが経験があると思います。
欲しいほしいと思ったときにはまったく手に入らず失望し、もういいや・・・・とおもったときに手に入る。さんざん施術してもらったのにあれこれ効果が出ない。もういい!とおもったときひょっこり手に入る。
これはなぜか、というのを結構前から問いかけていました。かれこれ二年くらいかかってから、ふとおりてきたお話しです。
「人が運気という因子をもったときに
一体どこにいくかというとまず
快楽の妄想癖に通される
因子がきたとたん、快楽を妄想するように、
まずそこが振るわされる。
そこでほぼほぼ消化するのだ。
人は運という因子がきたとき、
ああこうなったらなあ、こうだったらいいなあ、と快楽を妄想し、
そこで使い切ってしまうことを
人は理解しておらぬ。
こうなったら快楽だ、うれしい、幸せだなあと妄想するものは
その快楽の妄想によって因子を使い果たし、
結局のところそこで妄想だけで終わっている。
その妄想にり快楽をえて、人は快楽を補充し
かるく失望しつつも、ある程度満たされ、生きていくのだ。
なにそんなところで無駄遣いを、というが
人の幸福は快楽である。
その快楽を求めるのが人であるうえに、
妄想で快楽を得るのもまた人であろう。」
はぁなるほどなあと感心しました。
運、というのは「運気の器」系のメニューをお申込みの方にはお伝えしている内容ですが、
「さて、運、というのはそもそもなにかといいますと、
その方の持っている様々な運命を振るわせるための要因です。
その方が相手と結ばれる運命というものを「もっていた」としても、
その運命が振るわされなければ、運命がアクティブに活性化されなければ、
ただ「持っている」だけです。発現しません。
晩婚の方は晩婚の運命、なのではなく、結ばれる運命がアクティブになるのが遅いか、
他のアクティブになった運命を消化しなければ、その結ばれる運命がアクティブになるまで至らないこともあります。
また、人の運命というのは本当に無数あります。
無数の糸が自分の中にあるようなもので、そこに運、という要因が活性化させることで、のそりとなにかが人生において発現していくようなものです。
運命の中には、それこそ事故にあうようなもの、人とぶつかり合うようなもの、あまり歓迎したくないものから、
投資に手を出したくなったり、なにかの習い事を突然したくなったり、
突然料理や手仕事をしたくなったり、なにかにこだわりたくなったり、
たくさんの運命があります。
そして、その運命は人から人に伝播していくようなものです。
ネットや、テレビなどをみて、自分もまたこれをしてみたい、これがいい、と移っていくものもあります。
それだけ人というのは自分の中にたくさんの運命を求めており、
ストックし、抱え込んでいるものです。
かかえこんでいる糸に、運たる要因がぶつかって、発現するとしたら
たくさんの運命があれば、それだけ
ダメ運命が要因によって震わされる可能性も高くなります。
運命をたくさん持っている方がいくら運を取り込んでも、
それこそ人生のイベントが増えるだけです。あれやこれややりたくなって
振り回されて、ああでもない、こうでもないといろんなことに手を出したり、
いろんな運命が発現して、ともすればいやなこともいいことも同時多発します。」
と解説にあるように、たくさんある人の「振るわされる、振動させられることによってアクティブになる運命」を、震わせる因子です。
その因子を、何らかの方法によってもってきたとして、さあ自分のおもうような「素敵な運命」が振るわされるかというと、そうではありません。たくさんある運命のどこがアクティブになるか、といったときに、「嫌な運命」がたくさんあれば、そちらがアクティブになる確率が高くなりますね。それこそ確率論です。
また、せっかく運という因子を手に入れたとしても、人は「快楽」を求める生き物です。妄想しているとき、ああだこうだ考えているときというのは幸せでしょう?宝くじあたったらあれかって、これかって~と妄想しているときや、あれがあたったらうれしい!と妄想しているときは幸福でしょう
彼氏が欲しいなとおもったときに彼氏がいるときの妄想や、こういう出会いがあったらとか、少女漫画のような、あるいはドラマのようなシチュエーション、誰かに声をかけられちゃうかも★という妄想、はかどりますね。
その妄想する、妄想癖、というところにまず因子が通されます。
そこでなけなしの運がクリアされてしまう、ということです。
ガチャガチャもそうですね、あたれあたれ!と当たったときのことや、あたったときの喜びをわくわくし、どきどきし、妄想し、そこで使い果たしてしまいます。ですがそれにもいい悪いはありません。そのときあなたの中で「快楽」があたえられたのですから、因子は立派に役目を果たしたといえます。
無心のほうが、あるいはなにも考えてないときほど当たるでしょ、チケット。
これがもらえるかもしれないから、3000円分の買い物して抽選券もらわなきゃ、とわくわくして、あたったときのことをもうそうしたときに、そこに快楽が走るでしょ。はい、そこで快楽とひきかえに、妄想とひきかえに因子が消滅しました。ということですね。
いま、「妄想癖」をはずすという学びをしていましたが、それを理解してはずしていったからこそ教えてくれた、おろされた話です。
いくらこちらがこれはなにか、この答えが欲しい、と言っていても、自分がそれを得れるくらいに、妄執やらなにやらはずしていかなくてはその答えを得られない、ということなのでしょう。
手放す、ということは得ることです。
なお、今回の学びにあたり、運気の器のメニューを更新します。
今受けているご依頼の方は、そのまま「妄想癖」をはずすところまで対応いたします。10日より、対価が5000円→7000円になり、その運に応じての妄想癖をはずすことも含めて対応します。
全体運の器については10000円→14000円になります。
ご希望の方は10日までお申し込みいただけましたら、今の対価でさらに外すもの外しますので少しお得になります。期間も短いですが、ご検討ください。