呪い、のこと

投稿者: | 2021年6月8日

タイトルがまがまがしいですね。

ブログがちょっとお留守になっていてすいません。一か月に一辺は記事いれていこうとおもいます。さて、ちょっと最近呪いについていろいろありましたので、少し書いていこうと思います。

呪われるとどうなるか、というのは数年前に一度こちらで書きましたかね。気が短くなる、というのをはなしたかと思います。

ほぼほぼの人が呪い、というものを自らにかけ、あるいはかかっているのとおなじです。呪いとはなにかについてお話しを先日おろしたときに

「呪いとは(それによって)見境がなくなるということであり
それにより禁行為すらしたくなるものである」
「呪いとはそのものと
せいやく、命約をむすび、こうだ、こうあるべきと信仰しているからである」

呪いというのは、そのものによって、自分自身が振り回され、
かつ、ともするとやってはならないこと、すらに手を出すくらい見境なくなるものです。
恋というものに呪われていれば、その恋情によって見境がなくなり、本来ならしてはならないこと、不倫とかでもうっかり手をだすでしょう。
呪いというのはいってみたら、その対象物とぎちぎちに魂がしばられて約束している状態であり、そのものに固められた、こだわっている心(信仰心)があります。
成果に呪われると、その成果をだそうと、
スイッチが入ると自分の損になろうと、時間をつかおうと、
成果をださなければと尽くします。
そのつくさせようとする衝動を起す、かりたてるのが、
盟約、と誓約です。
悪魔とか妖怪とかと、盟約をむすぶことで、
成果をだすためにかりたててくれる衝動をつくるのです。そして
成果というものに凝り固まったものが信仰心です。妖怪です。

スイッチが入ったように、
あ、成果をださなくては!と
本来してはいけないようなことでも飛び越えてしまう、
それが呪い、というものです。

この呪いというのはその本人に恐怖があればあるほど効果は抜群です。

死への恐怖、生活の恐怖、人に迷惑をかける恐怖、愛する人を失う恐怖、愛する人をなくして死ぬ恐怖、そういうものがあると、容易に発動します。

恐怖がなければ、自らに傷がなければ呪いにはかかりません。

それでいうと、人を呪うなんて簡単なことです。自分の中になにかの恐怖があれば、その恐怖によって、人を見境なくすることができる。

「お前をのろってやる」と相手にいうだけで効果もあるんです。その人に恐怖があればどんどん見境なくなっていきます。

コロナ、がいい例ですね。ひどいと見境がなくなります。

たましいを消耗し、気が短くなり、マスクをしてない人に対して攻撃的になったり、自粛しない人に対してなにをやってもいいような気にもなるでしょう。

自分が何かに対して見境なくなっていると、呪いいうものにとらわれているかもしれません。

見境なくなってあたりまえだろう、とおもうのであれば。それは型にとらわれているかもしれません。

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