二重の重り

投稿者: | 2021年5月2日

4月中に更新しようとおもっていましたが、なかなか時間が取れずにまた一か月以上放置しておりました・・・。

さて、依頼を受けているクライアント様にはなじみのある言葉かもしれませんが、ブログだけを見ている方にはあまりなじみのないものに

「へき」という概念があります。

一例として「妄想心」という「心」があります。妄想は快楽です。まだ起こってもいないこと、事実でもないことを

こうかもしれないああかもしれないと妄想し、

嫌いな人を妄想の中でうちのめし、

宝くじがあたったらと妄想し、

もしかして自分が失敗してしまった、へんなことをいった?もしかしてきらわれた、と妄想します。

妄想をしたいわけでもないのに、頭の中で、いつのまにかその世界をつくりあげ、膜がはったかのように、自分の世界にはいりこむ。これが妄想する「心」の作用です。

そしてその妄想を「はがそう」とするのが「へき」です。

ああ、こんなこと考えても仕方ない、

宝くじなんてあたらないし、

もしかしてちがうことで機嫌がわるかったかもしれない。

いやいや、嫌なことがあったけどこれからいいことがあるかもしれない

と、自分の妄想をはがそうとするのが「妄想へき」です。

漢字で書くと

その妄想が正しくない、とする想い、衝動です。
ヘキ・ひがむ

いろんな「へき」があります。

会社をやめたい、ここから逃げたい、という「解放心」があり

その「心」はただしくないとはがそうとする「へき」があります。

妄想や妄執をはがそうとする心であればよいものなのでは?と思われるかもしれませんが、

そもそも、妄想する「心」がなければはがす「へき」も不要なのです。

人は過多になればそれを修正しようとします。

欲望が過多になれば、身を崩すから、それをはがそうとしよう。

妄想が過多になれば、その妄想をはがして、自分をたもとう

解放が過多になれば、自分からなにもかもなくなっていますから、解放をおさえようと

修正しようとします。

ですが、それは妄想する「心」自体をはずしているわけではなく、

片方の天秤に「へき」というものをのせて、天秤をつりあわせているだけ。

その天秤の総量は増えています。

その天秤の重りは増え続けます。

自らを律しようと、過多を修正しようと、自分が悪い、よくしようと天秤をつりあわせようとするだけ、

全体の重りはふえていき、

その錘に魂は耐えられなく消耗します。

ああしれはいけない、これはだめ、

やっぱよくないよね、はがすたびに、二重に消耗している、ということを本日はすこし書いておきたいと思います。

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