寿命はわかるのか

投稿者: | 2025年2月4日

たまに聞かれるこの質問について今回は書いていこうと思います。

そもそもはるか昔、人間の魂が大きかった時は、魂の寿命>肉体の寿命 でした。肉体が限界を迎えても、魂はぜんぜん元気で、昔は死んだらある程度自分で生まれるところを選ぶことができました。その時には「お迎え」というものはなく、肉体がなくなった後魂は自由に行先をきめたり、生まれ変わるも変わらないも決めることができていました。

だんだん魂が小さくなっていくことによって、あるいは医学の発展とともに、肉体の寿命が魂の寿命を上回るようになってきました。

魂には消耗しきる前に休息を得ようとするセーフネットがあります。消耗しきるともう本来の自我、自己というものがなくなります。

そうなると、たとえ供養して魂を増やしても、本来の本人としての意識は薄く、寄せ集めの魂になり、うまれかわっても自我の薄い人間になります。どう生きていいかわからない、なにをしようかこれというのがない、自己というものがない、そういう寄せ集めから生まれた魂というのはいま増えて生きています。

そうなる前に魂は急速しようと、今の人生を閉じようとすることもあります。

また、魂の消耗が激しいと、もう次の人生はないなと魂は無意識で悟り、生にしがみつきます。いまの人間の生がなくなれば、もううまれかわるかどうかもわからなくなり、死というものを恐れ、なにがなんでもいきたい、死にたくないとしがみつきます。魂の寿命が尽きても、魂が生にしがみついたり、肉体が医学によって「生かされて」しまっていても、人間の寿命は数年前後します。

本来の魂の寿命によってお迎えがきたとしても、これらの理由によって生き延びてしまうと、お迎えがきても仕事ができません。まれにこのお迎えが間違って他人をつれていく場合もあります。完全なるもらい事故です。本来は死ぬ予定がなくても、それらお迎えを波長が合ってしまい、死神をつれて帰ってしまう、ということも、ままあります。

以上のことから突発的な事故、魂の寿命と肉体の乖離、そういうものによって寿命というのは正確にみるのは非常に難しいことです。

魂がなくなってきている、というので、魂としての死はわかりますが、そこから肉体の、となると今の世の中いろんな延命措置や、肉体の寿命を延ばそうといろいろな手術したり、治療したりするので、生き延びてしまうことがとても多いです。医学の発展は素晴らしいですが、その分生き延び、魂を消耗を促進してしまうので、魂の死が早まってしまうという側面もあるのかもしれません。