どんなことでもひっかかったら学びです

投稿者: | 2017年11月27日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

なにか人と接し、あるいはトラブルなどがあり、心にひきずったものがあるとき。それこそ因縁解消のきっかけです。人にいわれたことが心にずっと残っている。あのときの表情や会話が忘れられない。それを無理に流すことはありません。そこから学ぶものを学べたら、解消できるものを解消したら、自然に忘れていくものです。

怒り、や憎しみ、悲しみ。そういう感情で紛らわされていますが、そのひっかかりはどこからくるものか冷静に分析してみることです。

自分がなにか集中しているときに電話があったり、来客があって、イラっとした。子供が寝ているときに来客があって、起こされたことに怒りを感じた。自分の意図したことを人がわかってくれず、決めつけされて怒りを感じた。お賽銭を多めに払えというが、それに抵抗がある。旦那の実家になにかお歳暮やプレゼントを何であげないといけないのか、気持ちよく差し上げられない。

そういうとき、共通するものはなにか。それは自分の所有しているものに固執する我執です。

自分の時間やものを人にわけあたえたり、侵害されること、自分の思考を他人に踏みにじられることに、人は怒りを感じます。本来、邪魔をされようがなにされようが、怒りを感じることはないのです。

分け与えたくない、分け与えてもいい。判断はそれだけであり、無理なら無理、いやならいや、と思うだけで、そこに怒りを感じることは本来はありません。

怒りというのは悪ではなく、その悪意、煩悩を教えてくれるアラートです。痛みもそうですね。痛みがあるから人は命の危機や体の危険を感じ、それに対処しようとする。怒りは痛みとおなじ。心や魂のアラートです。

怒りを感じることは悪いことではなく、「ほら、まなぶべきことがここにあるよ」とおしえてくれる警鐘ということに気が付くと、誰かの行為によって感じる心の痛み・ひっかかり・怒りというものは大変ありがたいものです。

車や人の割り込みでむっとしたときにはその我執と「自分が優先されてしかるべきだろう」という驕りを。小さいことでも日々学ばせていただき、あとは祓い清めていけばよいだけです。それをくりかえしていくと、どんどん体の重さはなくなり、心もかるくなり、自分がむかう道というものが明るく照らされてきます。むかつき、いらつき、怒りも大事なものです。

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