神は祟るのか

投稿者: | 2017年11月28日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

よく、あの神様にたたられた、失礼をしたのでばちがあたった、というお話をききます。これは半分がYESで半分がNOです。さわらぬ神にたたりなしと昔から言うでしょう。

一つの答えとして「いかなる理由をもっても神を縛ったり、神を封じたり、神を使ってなにか呪いや術をしたら因縁つむ。障りがある」ということです。神社で祀られているような神格たかい神さまであればとにかく、ご眷属の神さま、および召喚した天使や悪魔。人に近い神様。これらは案外たやすく穢れを受けます。神仏に加護された人間が、何か、だれかを呪ったとしたら、その神仏はその人間にお力貸すでしょう。そしてその呪いが発動して相手を苦しめます。

そこで、呪詛した側は、神を使って呪詛した因縁を積みます。これは、神様を汚れさせて天に返せなくした因縁ですので、神様に恩払って、徳つけて天にかえさなくては因縁きれません。

そして呪詛された側は、呪詛されているのですから、当然苦しみます。その苦しみから霊能者をたよって、その原因である神を封じたり、ひっぺがしたりするでしょう。そうすると、利霊能者も、依頼した本人ももれなく神を封じた因縁つみます。霊能者は 依頼者を守っただけですし、依頼者は苦しみのあまり頼んだわけですが、人の力で神様封じるとおおよそ全員くらいます。それは、体のおもさやだるさ、息苦しさ、なにぞ思うように物が進まない、子供がひきこもる、などの「なにかが膠着する」ように因縁でます。その霊能者がお分かりになる方ですと、神霊がらみの案件ならがやりようがいくつかありますので、正しい対処法をすればよいですが、そうでなく、ただ「力」のある方ですと無理にひっぺがして封じるという荒業でます。これは大変よくありません。お互いに。

神棚を粗末にする、おふだお迎えしたけど米塩酒などささげ忘れた。この程度ではさほど因縁などありません。

お札というのはあくまでその神様との窓口であり、ここに降りてきてください、という目印になりますから、人によっては毎日ではなく、なにかお願いするときだけ供物をささげているかたもいらっしゃいます。それでもいいのです。

神さまとの付き合いは、なにかお願いするときにきちんとおよびして、対価はらって、かなったらお礼言って清算する。人のおつきあいと同じです。

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