具体的な方法(保存版)

投稿者: | 2018年2月16日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

因縁を切りたいという方へ。

ご依頼いただくとこちらで一つ一つ神様にきき、何が原因か、なにを解消すればいいのか確認いたしますが、たいてい不都合不具合があるときにかかわってくる因縁というのは一つっきりというわけではありません。切ってもきっても終わらない、大きなものから一つ切ればよいものまでさまざまです。

職場の不和、だけでみても悪意悪魔たくさんあればその一つ一つ切っていかねばなりませんし、その場合おおよそ数ヶ月~一年はかかります。「今〇〇さんとのトラブルできつい」というならその方との因縁だけですみますが、実は他にもたくさんいて、となるとほとんと人数分との因縁きりになりますので、その場合は月ごとのサポートをご依頼ください。

さて、まずなにか不具合がでた場合、「その原因となる因縁」を出してくれるよう神様に依頼します。切れるサイズ、対応できるサイズに小出ししてもらい、対応します。一度に全部だすと下手すると死にます。死なずとも、具合の悪さや気分のアップダウンやイライラでもう嫌だと逃げたくなること間違いありません。

何度も申しますが、因縁きるというのは本人ふくめてしんどいものです。自分の見たくない汚い部分をみせられたり、かつて自分が人を呪ったり、ねたんだりしていたらその負が全部自分におそいかかってくるようなものです。それを一度にだしたらどうなるかは想像つきますでしょうか。

そこででてきた因縁を切っていくわけですが切るにも方法はいくつかあります。過去記事に結構かいていますから割愛します。

ご自身で人の力を借りずに、というのももちろんできます。神社にいき、因縁切っていくこと、小出しに出してくれるように願い、徳を積んでいき、その徳もって解消を願っていくことです。

その中でなにがネックかというとやはり原因、その核がなにかを「悟る」ことです。

人とのトラブルから学んでくださいと採算書いていますが、「相手に憎しみを抱いていることはわかった」「この人が苦手ということはわかった」というところでおわってしまい、その人と自分が共通でもっている悪意悪魔にはなかなか人は気づけない。相手を鏡にしても、相手に何を学べばいいのかコアがわからないのがネックです。

その正体がわからなければ、神様に願っても祓っていただけません。人が気づいて、その煩悩が自分に「ある」そしてそれを「いらない」と心から願わなければ神様のほうでも祓ってくれません。

そこが一番難しいのです。

しっかり瞑想してください。己の中の煩悩をしかと認識してください。

そして認識したら、次はそれを祓うこと。その罪を許してくださる神様のところに行き、祓うことです。

これもまた難しくはあります。誰に頼めばいいのかわからない、というのもあるでしょう。

わからない場合は土地の神様に言ってください。生まれた土地、いまいる土地の神様はご縁がある神様ですから、そこにいって、しかりと賽銭はらって依頼なさってください。

信仰している神様がいらっしゃればその神様のところに。もしカトリックの幼稚園にかよっていた、高校や大学がキリスト教の学校だったというならそれはそれでご縁ですから、教会にいかれればよろしいです。

天につながっている神さまであればつながるところ、おおもとは一つです。

自分にこれこれこういう罪穢れがあることにきがついた、ついてはその罪をお許しいただき、その罪をおしえてくれた〇〇さんに恩を返したい、その罪穢れが自分に生まれるまえに戻って祓い清めてほしいと願いだて、きちんとした額をおさめることです。

また、ひたすら徳を積む、ということです。ひたすら徳を積み、魂の品を上げていくと、切れます。時間はかかりますが、切れます。それこそどれだけの因縁を切りたいかによります。家系の因縁となると人ひとりがんばっても無理な場合もあり、その場合は家族単位で徳を積んでいかれることをお勧めしますが、個人のもの、ちょっとしたことであれば自分自身の品をひたすら挙げていくことです。人間関係のトラブルや、縁どおい、同じような失敗で毎回失恋する、などの場合は徳積みで解決することほとんどです。

情けは人のためならず。己のためと認識し、生かされていること、人にひきたてられねば人は上にもいけなこと、一人では生きることも学ぶこともできないことをしり、利他でいきていくこと。それにより自分の品があがり、すべてが回るようになるのです。

徳を積めば、その魂に悪魔などはいづらくなります。なので途中でやめたくなったりするでしょう。そこで神社にいくのをやめたり、教会にいくのをやめたりするととたんにもどります。面倒だな、とおもってもいかれることです。

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