縁ができない理由

投稿者: | 2018年2月17日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

いい結果ばかりを告げれればこれほど喜ばしいこともありません。ですがどうしてもつらい結果がでたときにはお伝えしなくてはならないこともあります。復縁できない、相手が何も思っていない云々…。

こういうとき下手にまわりくどい言い方をしたほうが大抵逆効果です。良くない結果は淡々と。冷たくなりすぎないように淡々とお伝えするようにしております。

さてさて、よくいただく案件に「縁ができない」というのがございます。縁ができない理由はいくつかあります。一つは前世のしがらみで今世独り身になってしまう因縁がある場合。もう一つがつりあわない相手ばかり探している、求めている場合です。

よく「お互い信じられて穏やかでいいから愛し合える相手がいい」とおっしゃる方がいます。こういう場合ほとんどおっしゃってる本人が「自分自身人を心から信じることができず、愛することもできない方」です。人をなんとなく信じ切れずいつも「本当に?男の人って大抵浮気するものなんじゃないの。お金が入ると人ってかわるから」などと思い、愛し合いたいと言いながら、いままで人を愛したり受け入れたりすることなく、損得勘定でお付き合いなさったりします。

縁とは写し鏡であるとさんざんかいております。そういう方の写し鏡であるのだから、よってくる、縁のできる相手は推して知るべしです。自分がもっていなものは、縁のできる相手ももっていません。特別な鏡などないのです。

なので、縁ができない、ということはつりあっていない相手ばかり求めているということでもあります。上でもなく、下でもなく、自分自身とおなじ重さの魂と人はひきあうのです。そこでいくらバイアスをかけて神様に「信じられて愛し合える相手がほしい」と願っても、神様のほうでも困ります。そうなるとどうなるか。

答えはひとつ。本人が因縁きって、自分に愛がなく、信じる心がないと気が付いて、罪穢れはらいきよめて失われた魂埋めるまで縁はできません。

あるいは理想をあきらめて、もういいや、とおもい、願いをとりさげたときに現れます。よくいうではないですか。結婚あきらめたら彼氏ができた。あれはそういうことです。あきらめて、自分の理想の伴侶なる釣り合わない相手を求めることをやめれば出てくるのです。皮肉なお話しでしょう?

あるいは因縁罪穢れ払っていき、魂の品をあげていってもいいですね。理想と釣り合うべく、自分をあげていくか、いまの自分自身の品をしかりと見定めるべく条件を下げていくか、です。

就職もそうですね。高くても低くてもいけません。己の魂の重さとつりあった職場なら縁ができます。いつまでもみつからないなあ、むずかしいなあとおもったら、すこし高い位置のものを受けてみてください。それを繰り返しても縁がなければすこし低いものを。

縁はあるのです、ただ探し方が違うだけです。

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