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未来というものは無数にあります。ここですこし寝過ごして違うバスに乗って、出会う人と出会わなかった。決断を誤った。様々な要因が人の数だけ重なってくるために未来というものは不確定です。誰かがここで因縁をきったらその方の運命がかわることにより、出会ったり出会わなかったりする人もかわります。
その方の持っている因縁により、おおよそ人生でどういうことがあるか、はある程度わかりますが、それすら徳を積むことで変わりゆくものですから未来は変わります。
そもそも神様方で未来がわかっているならば、この世の中もっと違う形になっています。神様がただけでなく他のもの悪魔悪意霊たちも、影響するのがこの世の混沌です。
以前「未来はわからないのですか」ときいたことがあります。自分事であれば「年内にひっこすだろう」「来月その因縁は切れるだろう」と教えてくれることもありますが、依頼によってはだんまりされることもあり、神様にとって未来とはなんなのだろうというのが気になって聞いたことがあります。その際「天にさからうものが付いているものは、おおよそ天の導きにはしたがわぬ。そうなればそのものがどうなるかが盲される。天の導きに逆らうものにああだこうだこうなるといっても、それにさかるものがあればそちらにひきずられる。そもそも神は人を導くが、聞かぬものは聞かぬ。聞かぬのもまた自由であり、好きに選択できるのもまた人である。誘導はせぬ。あれをしろ、これをしろ、この職につけ、このものと結婚しろなど天は誘導などせぬ。おぬしらは自分のよちよちする息子娘がああしたいこうしたいというのをあれせえこれせえとぎちぎちにレールを敷くか?見守るだろう?転んでも見守ろう?こちらに手を伸ばして助をもとめてじたら応じるだろう?それだけのものである。助をもとめる相手がたとえ逆らうものであっても悪魔であろうとも、それは人の自由であろう」
とのことでした。また、「だめだ、それは結ばれぬ、むりだといったといえど、人によってはあきらめまい、なんとかしようとあがいて、よからぬものに手を出そうとする。導けば、答えをだせばあああでもない、それは嫌だ。答えをださねば神はおらぬという。人というのはまことそういうもの」と笑っていらしたので、そういうものなのだと思います。