信頼

投稿者: | 2018年8月31日

こんにちわ。

返信もろもろ遅れて申し訳ありません。至急いきなさいということで昨日は一日和歌山から奈良まで回ってまいりました。

伺ったのは淡島神社と玉置神社と高鴨神社の三社です。朝四時に出ましたが帰ってきたらもう夜も遅く、何一つ返信できませんでした。各神社のご神徳についてはいずれどこかでまとめたいとおもいます(果てしないかなあ…)

さて、玉置の神さまにいただきましたお言葉です。

信頼して裏切られた、信頼しようとしてもできない、あるいは裏切る、裏切られるのが嫌だという方、ぜひ参考になさってください。

「人を信頼するということは、信頼されるということ、かなりの徳積みである」

「人を信頼するということは、任せるということ、相手に預けるということである。交わすことである。そこで、相手がなにかそれを返さなかったからといって、そこで裏切られただのなんだだのいうことはない。

人を信頼して、その信頼をただ返してもらえばいいだけだ。人にあずけたものを返してもらうだけ。なにも、なくなってもない。返されるのが、相手のなにかか、自分か、それだけの違いである。

相手にあずけた己を返してもらうだけ。そこになにを裏切られた、信頼したのにとおもうことあろうか。なにも損なわれてないない。

そこで裏切れらた、なにぞしてくれなかったと思うのは、己をあずけっぱなし、かえしてもらっていない身勝手である」

とのことでした。

人を信頼するというのは容易なことではなく、人を心から信頼してゆだね、預け、交わすことによって自分もまた信頼され、任せ、預けられるようになります。

また、信じてたのに、なにか信頼を返してくれなかった、裏切られた、信じてたのになにもしてくれなかった、もう信頼できないと嘆く方もいるでしょうが

信頼して預けた心はそれは返してもらえばよいだけです。それによってなにぞものや金銭をうしなったのならば、それを恨むでなく、もし因縁あればそれによって解消されたのだし、もし帰ってくるものであれば何かしらの形で「かえしてもらえば」いいだけです。

返してもらうのを願うだけであり、信頼したそのこころを返してもらうだけ、

あなたはなにも損なっていません。あずけたものはかえってきます(神社などででねがってください)。

預けっぱなしにしているもの、滞納あれば返してもらう、精算してもらう、でよいのです。

あなたはなにも、失っても、搾取もされていません。

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