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傷、の話を先だっていたしました。
魂の欠けや穴ぼこはあれども生まれたばかりの赤子は魂に傷がありません。生まれて生をうけたときには傷などつかず、まっさらです。たとえ子に障害があろうがなかろうが、魂は傷はありません。
それが、引き合わされた親や周囲、あるいはそれによって引き起こされた自我により、魂はどんどん傷ついていきます。15までは因縁は親が背負いますが、傷は自分のものです。
親にひどい目にあわされたことなどは傷として残ります。むろん、癒されるもの、忘れるもの、はずれるものはありますが、生きている間に傷というのはどんどんつきます。
過去のカルマも、その時期時期がくれば発動します。それによって傷はつくでしょう。
その傷が大きければどうなるか。そのときに「傷合わせるもの」というものを背負います。
すなわち、傷つけた相手を同じく傷をつけ変えそうとする本能のようなものです。闘争本能のようなもの。
相手にぶたれたのだからぶち返したい、そういったものです。
もちろんあなたを傷つけた人に同じく傷をつけ返すのは自由です。ぶたれた相手本人に返すのならばそれは大した因縁になりません。やり返しているだけですから。だけれどもあなたが親にぶたれたからといって子にしたらどうなりますか。それは連鎖になるでしょう。
おおよそ人は、傷をつけた相手でなくて、弱さから他人にその傷をぶつけます。目上のものに言われたイライラを部下にぶつける。他の人にいわれてためたものを、他者にぶつける。これはむろん無礼なことであり、それを続けていくとどうなるか。当然自分自身にかえってきます。
おさまるところにおさまるのです。
あなたが傷ついた、傷つけられた相手にそれを返すのならそれは「やむを得ない行為」でしょうが
もし誰かにアドバイスされて失敗した。その失敗などを部下や他の人にぶつけたらそれは「失礼」なことでもありますし、ただ相手をきずつけていることですから
当然返ってきます。
ふりあげたこぶしはもとの相手に返すか、あるいはそれを流してもらうように神社などでお願いなさること。
もし我慢するとその「傷合わせるもの」天は「とうしん」(←おそらく闘神、闘心と変換するのでしょう)は自分の身を食います。
抑えることで体の不調が現れます。熱がさがらない、具合が悪くなる。おさえつけられた闘い、傷つけようとするものは自分をこわします。
とうしん、まで祓うとなると結構その前に祓うべき因縁はありますが、振り上げたこぶしをなんとかしたいなら
・傷つけた本来の相手にかえす(もしそれが逆恨みならあなた本人にまたかえります)
・闘争心の強い神様に奉納する(東日本にお住まいなら東照宮さまなどおすすめです)
・とうしんそのものをはずしたいなら諏訪の神様へ(その前にはずすものがあれば当然はずれません。その傷がついたときの恐怖がのこっていれば外れませんので、まずそこから対処必要です)