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惹かれる相手と執着と、縁と。

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魂というのは何度も転生を繰り返して学んでいきます。人との学びというのはその中でも大きいものを占めます。家族、恋人、配偶者、子供、友人。どれをとっても惹かれる相手というのは因縁ある相手です。

何度もたとえに出して聞き飽きたと思うかもしれませんが、前世で浮気して配偶者を裏切った人は、その裏返し、恋人や配偶者に裏切られて浮気される因縁を積みます。そうなると、「浮気してくれる配偶者」に強烈にひかれてしまうわけです。報われない恋愛をなさる人は既婚者や、付き合ってはいけない相手に強烈にひかれてしまうのです。

強烈に惹かれる、どうしようもなく忘れることができない。因縁というのはそういう相手です。前世や今の世、相手が苦しんで、悩んで忘れることができず懊悩した分自分も懊悩するという因縁を積むわけです。だからこそ、執着を断ち切って、懊悩を祓い、次にいくことは因縁をきることにもなります。執着している間は、自分の魂はそこに縛られます。

因縁の相手の中には、前世家族であったり、仲間だったり、ともすれば魂の半身だったりする相手もいます。なぜ近くに生まれるのかというと、その魂が同じ因縁をもてば、おなじ地域に生まれることが多いからです。その土地に引き寄せられ、学ぶ因縁がその個々の魂にあるので、前世近しいひとたちが近くにいるのはなんら不思議なことではありません。たまに、その地域の神様に背を向けて、他の国の神様に拾ってもらうということもありますが、その場合は前世近しいひととあまり近くにいくことはないでしょう。

一部の人、といいますか、出身が天界の人間にはお供と神様おっしゃる存在があります。天では天のお供、つまりパートナーがいます。大体神様というのは夫婦で一組なのをみるとわかるように、天では大抵の魂が二人で一組みです。魂も二人で一つくみあわさっているようなものです。一方の魂がやらかしたり、学ぶことがあって、人に落ちるとき、そのパートナーは当然引き離されます。たいてい今まで見た中では、片方が人に生まれても、片方が人ではない存在として在ることが多いです。片方は罪を犯し、片方は犯していないときです。そして、因縁を解消していくうちに、お供と出会うことがあります。

ここで残念ながら、お供とひきはなされて下りてきた魂というものは、お供と解消すべきものがたくさんあります。なぜなら、本来パートナーであるはずのお供を裏切ったからこそ、片方だけペナルティとして人に生まれ変わってきたことのほうが多いからです。天にいた魂が人におりてくるくらいの罪を犯して、パートナー裏切って下りてきたわけですから、相手とは解消する因縁が多いので、お供と魂つながるほうが大変です。天にもともといた人間というのは人生がハードモードなことが多いのです。なぜなら、魂の半分が半身がごっそりないわけですから、魂のうつろが多く、悪魔悪意ごっそり引き込みます。人の思念や悪意もとかく吸い込みやすく、しんどいでしょう。もともと天にいた人が苦労多い人生なのはそこからきています。

さて、それはさておき、そういう魂の半分、お供のことをソウルメイトということもあります。上に書いた通り、魂の半分なので、本来二人で一つの魂なものですから、あまりないことですが、お供ともども人に降りてきた場合、両方どちらかが生きているときには埋まることはありません。肉体をもっていれば、魂はお互いその肉体のものです。結婚してよほど寄り添うならとにかく、そうでなければ埋まりません。一緒にいると、強烈にひきあいますが(もともと二つで一つなので)、解消しなくてはならないことがお互い多いので、付き合えば付き合うほどハードにことがどんどんおこります。このひとじゃないとだめ、というほど惹かれるし、埋まる感じがするのに、おこることはハードです。そして、別れることもしばしばです。ハードすぎて付き合えないからです。逆にいうと、お互い因縁解消するにあたり、徳を積み、その罪穢れを祓い清めること、業を解消することで、平穏な未来が開かれる場合もあります。

ですがまあ、たいてい別れます。魂の伴侶はあくまで魂の片割れであって、三次元を生きていくにはつらいものもあります。あの人は魂の半身だった、とあなたが思うならそうなのでしょう。

魂のお供ともともとあったように一つになるには、どちらかが人間でないほうが平和にともにあれることのほうが多いです。いまの世で解消できないことであれば、来世で、どちらかが人間やめたときか、両方やめたときにまた会おうね、くらいにするのが無難かもしれません。

そのくらい、強烈に引き合う魂というのは、因縁あるか、もともと一つだったか、ということもあります。

因縁ある相手、一つである相手と、残念ながらお別れすることがあったとしても、それはそれ、本当に魂のお供であればいずれかの世で魂一つになりますから、それはそれで楽しみに待つというのもよいと思います。