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妖怪は「役」をつけます。絡めとり、役をつけます。役を付けるのは妖怪だけではありませんが、一例です。
たとえば、誰かに対して、「なんとなくその人にはなにかしてあげたくなる。困っていればごはんを上げたくなる。手伝ってあげたくなる。他の人が困っていてもなんとも思わないのに、その人が困っていると何かしてあげたくなる」
この場合、相手が自分を絡めとり、「尽くさせる役」をつけています。その作用を起こすのが妖怪です。
相手はこちらを絡めとっています。当然その返しはきますから、相手もなにかに尽くさなければならなくなります。
わかりやすいところでいうとクレーマーなど、因縁をつけてくる人もそうです。自分が苛立たしい、腹立たしい、なんとかしろ!といわんばかりに絡めとってきて、相手になにかの役をつけようとするのです。クレームをつけられたほうは、その対策でなにかをしなければならない、あるいは傷ついて、対応をとらなくてはならない、クレーマーに尽くさなければいけない役を背負わされます。
本来、やらなくてもいいことまでしなくてはならなくなります。人はわかりあえないのですから、うちでは無理です、とそれだけでよいはずです。こちらに全くの非があり、やらなければならぬことをしなかったのであれば、それは対応しなければなりませんが、クレームをおそれ、やらなくてもいいコストをかける。それで対価が高くなる。人件費が高くなる。結局のところ、そのクレームを受けないように受けないように、と役がつき、本来提供するべきところにふくめてたくさんやることが増えてしまう。双方高くつきます。
なお、妖精さんも絡めとりますが、妖怪と違ってカルマとはなりません。妖精はその絡めとったあと、それを成立させる「要因」となり役立ったら存在を終えたり、べつのものになるからです。妖怪とちがって人にうつりません。
なお、妖精さんをおもちのかたは、相手からクレームをつけられたり、絡めとろうと、自分に役をつけようとしてきて、頭にクレームがこびりつくときには、妖精さんに自分の身代わりを命じてください。自分の身代わりになって、相手に絡み取られてとかわりに差し出すことです。もうその妖精さんは身代わりにしかつかえませんが、役に立ち、使命を終えるでしょう。
いってみたら、妖怪はがん細胞のように、いろいろなところに転移し、正常なものを悪質化させます。魂、気力を栄養にし、尽くし、またがん細胞にしていくようなものです。そしてまた人に伝播します。
役がつけばいつのまにか、自然と、その相手に尽くすようになります。その役をつけて、絡めとっているのが妖怪です。そして、断ったり、うまくその役がこなせなければひどく後ろめたく感じ、どうしてできないのだろうと恐怖を感じるのです。
以前わたくしは「人を救う」という役をつけていました。これは魂がそういう役がついていたからです。
本来自分に提供できるものがあれば、自分のもっている能力があれば、それを提供するだけですし、魔法使いでもないのですから、できることをなすだけです。できないことを後ろめたく感じる必要は人にはないのです。
役がついていれば、それをしなければならなくなります。幼いころから誰かをたすけなければと自然とかりたてられ、それがうまくいかなければひどくうしろめたく、つらいのです。鍼灸の資格を取らなきゃと思ったり、医学の道を目指してみたり、弁護士に憧れたり、ヒーリングの手法を学んでみたり。そしてその何かで人を救えなければ、なにもできなければものすごい焦りと恐怖に感じたものです。そこで「役」という真理をしり、初めてそれが「憑いていた」「つけられていた」と理解したのです。
「役」は駆り立てます。そして、果たせなければ後ろめたく、恐怖を感じます。
仕事をし、それができなければ後ろめたく感じる。子供をそだて、怒れば後ろめたく感じる。恐怖を感じる。それが役です。
お金をだれかにあげる、小さいときに貧乏だときかされてきた人は、「大きくなって親にお金をあげなきゃ」と役がつきます。夫はこうあるべきといいふくめられてきた人は「こうあるべき役」がつきます。相手に絡み取られれば、相手を絡み取れば、それに準じた役が憑きます。
仕事は自分の技術や時間、能力ノウハウを提供し、それに対価をいただくものです。そして部下には仕事を振り分け、任せるものです。人を育てても、その方がおもうように育つとはかぎりません。人はそれぞれ能力も違うからです。そして人はわかりあえないものだからです。
それにもかかわらず、必要以上に自分を後ろめたく、手からこぼれてしまった、手に余ってしまった仕事や人を後ろめたく感じるのならば、一度自分にそういった役がついていないか、問いかけてください。
なお、役祓い、厄払いはぜひ年越しの大祓でどうぞ。役を祓うのはうってつけの行事です。