己の中の悪魔がいるかどうかの簡単な判別法として座禅は有効なツールです。
悪魔というのはとてもうるさいものです。魂の中でとても吠えたりざわめいています。脳内がいつもごちゃごちゃしたり、ちょっとした刺激で苛立つのは、魂の中で悪魔が騒いでいるからです。
音が気になるのは悪魔付きの特徴です。イヤホンして外界の音を遮断したり、常に音がないときにさわる。あるいは日常の生活音が気に障る。マンションの騒音がとてもきになる。子供の声がひびく。そういうときには悪魔がいるのを疑ってもよいでしょう。
悪魔がいるかどうかを判別する一つの手段として座禅は有効です。
無音の中別に胡坐をくまなくてもいいですが、ある程度リラックスして、座るのに負荷がかからない状態で
その中で心がざわざわしたり、なにか頭に浮かぶならば「います」。
もしその中でなにか外界から音がして苛立ちを感じたとしても「います」。
また、音つながりのお話になりますが、むかし聞いた時にはなにも感じなかったのに、大人になってからしみいる曲はありますか。
美空ひばりさんや、中島みゆきさん、洋楽であればエディットピアフ、映画であればレ・ミゼラブルの中の曲。
心にぐっと染み入り、涙がでそうになる。つい何度も聞きたくなる。振るわされる。これもまた共鳴です。
沢山の魂の傷、悲しみ、そういったものが自分の中にあればあるほど、おなじような傷をもった曲、メロディー、歌い手に共鳴します。そして自分を重ね、ついその曲を何度も聞いたり、手元に置いておきたくなるでしょう。
キズが外れ、様々なものがはずれていけば、いままで染み入っていたいたものになにも共鳴しなくなります。
子供のころ純粋にきいていて「うまいなあ」とおもくらいの軽さになります。
大人になって良さがわかる、のではなく
大人になってたくさんいろいろなものを抱えたから、共鳴するようになったのです。