いつもごらんいただきありがとうございます。
最近このようなお話しばかりしています…。夏なのか、呪詛を受けている痕跡がみられるクライアント様がちょくちょくこられ、はてまて呪詛を依頼する方まで来られます。はて、わたくしはいったい何屋さんだったのかと首をかしげる日々です。呪い紐解くのはいたしますよ。ですが呪詛はいたしません。
「あの人たちに天罰与えてほしい」「わたしがあったようにひどい目にあってほしい」、「彼の心をこちらから離さないように、逃げないように他をみないようにしてください」←はい、これも全部呪いですから。とくに相手の気持ちを操作するというのは、他人に振り回されたり無視されたりする因果がふりかかりますので、相手を操作しているうちに、自分というものがなくなってきますから。
前もお話ししましたが、天はとてもシステマティックで、自分がやらかしたのと同じ因縁が未来である下流に流れます。よいこともわるいことも同じ重さで積み重なり、時期がくれば発露します。この時期は何かと申しますと、だれか第三者の因縁と需要と供給がマッチングしたときです。あるいは日頃の積み重ねで発露する病気など、自分の体力や運気が落ちたときなどです。
呪いなどはこれこのシステムの穴をついたものや、システムを利用したものが多いです。たとえばとある呪いは「このものは罪人であり、罪をつまびらかにする」という命令文を相手の魂に刷り込みます。魂は、これまでの過去で犯した罪を強制的に自覚して、因縁のでてくる時期を無視して過去の因縁すべてまるかぶりすることで、いっきに不幸が押し寄せてきます。火のないところに煙はたたない。非があるから呪いが発動するのです。むしろ全く因縁もなく、なーんのやらかしもうけてない自分は罪穢れないんだい!という人にはまったくノーダメージです。呪いとはそんなものです。
また、あいつが憎い、あいつが心から不幸になってほしい、妬ましい、という気持ちは相手にもダメージをあたえることができますが、自分に因縁ひっかぶることにもなるので、過度な妬みや恨みは自分に返ってきます。
じゃあこの思いどうしたらいいの!?と思うなら神社や空気のきれいなところで出し切って浄化してもらってください。本当に気のよい神社にいくと、こころからすっきりして優しくなれます。このとき、愚痴っぽい友人や、神様なんてしらなーいという友人とはいかないように。神様とむかうときには1対1です。同じお心もつ家族ならいざしらず、おなじお心や目標もたない方といかれるより、しっかりむかいあって浄化してきてください。
浄化は一度でなく、不都合がなくなるまでです。定期的にいくことをお勧めします。
それでもどうしようもなく降り積もってきて楽になりたい場合、気持ちが前向きにならない場合、どこの神社にいけばいいのかわからない場合、呪われてるのかみてほしいという場合ご依頼ください。