「心」とつくもの、これは人の中に「思い」「思考」をつくります。
ああなりたい、こうなりたい、どうしてあんなこと言ってしまったんだろう、あのときこうしていれば、どうして自分がこんなことをしなければ…。なんであの人ああいう言い方するかな!
そういった思いを作ります。「心」ですから。
「しん」は「芯」であり「心」であり「神」です。
自分の中に、自分意外の「心」がある。それが「~~心」といわれるものです。
その中で今日は二つほど。活躍心と成功心です。
人がなにかを為して、成功する、というところにはいくつかの思いがぼこぼこ心にうかんできます。
その思いがつよければつよいほど、人はその思いにふりまわされ、辛くなります。
上にもかきましたが、「心」があれば、頭の中にいろいろな想いがはしります。
カルマがない、罪がない状態、というのは
あまりなにも思わなくなるものです。
なにかあったとしても、なにもおもわない
なんでこんなことに、なんでこんなことをしてしまったんだろう、
あのときこうすればよかった、いわなければよかった
そういう思いが走らなくなります。
活躍心も、成功心も「心」です。
その心があるから、といって、なにか成功したり、活躍するわけではありません。
よく、成功心をもとう、といいますが、思いにふりまわされればそれだけ、
よけいな思考が走ります。
なにか一つ物事を為すだけで「ああ、めんどくさい」「なにかやっていないとさぼってるようにおもわれるかな」「うまくやらないとたいへんだ」「おこられたくない」
「どうして自分がやらないといけないのだ」「もうしわけないからやらなきゃ」
と思考がはしれば、そのせいでさらにつらくなります。
その思いを原動力にしてよーしやらなきゃな、やるぞ!となるうちはいいですが、
大抵思いというのは余計に人を追い詰めるだけです。
楽にことをなす、というのは、なにがあったもそこに失望も、辛さも、思いもなくなる、ということです。
おもいに振り回されない、ということです。
さて、
「活躍心」とは、うごかなくては、活躍しなくては、という思いをつくります。そうでなければ申し訳ないと思うからです。
「成功心」ですが、成功とは人に干渉されることです。たとえなにか活躍したとしても、他者にすごいね、といわれたり、鑑賞されたり、みとめてもらわなければ、成功とはいえません
なにか自分がアクションをして(活躍)、人によくおもわれたい(成功)というのが活躍心と成功心です。
これが強く、たくさんあれば、それだけ人に求めます。
うまくできなければつらくなります。
それがなければ、別に淡々となすことなせるに、いちいち思いを走らせるのです。
こうなりたい、ああなりたいという思いが先走っていませんか。その思いによって自分を苦しめていませんか。