以前にもおつたえしましたが、紹介、というのは報いを代わりに受けることです。
紹介する、というのはリスクがあるということです。紹介したい、自分でこれがいいとおもった、こうおもった、これが素晴らしい、面白い、便利だと思った、楽しかった。感心した。そういう思いがあったとして、それを他の人にわかってほしい、分かり合いたい、と人はおもうものです。
なぜそう思うのか、というと、そこに紹介の妄執と、成功心、活躍心があるからです。
紹介したい、それによって他の人にいいね、すごいね、と思ってほしい、それによって喜んでほしい、自分の感じた良さを分かち合いたい、と人はおもうものです。あるいは自分がいいとおもったものを、人にもいいねとおもってもらいたくて、共感がほしいかもしれません。
紹介したくなる、わくわくする、どうしても申したくなる。それはそういった心、思いが自分自身にあるということに気が付かなければ、おなじようなことを延々と繰り返します。
もし、その紹介していたことが、間違っていた、デマだった、他の人にとっては不快だった、あわなかったとします。
そうなると、その不快の矛先は、紹介した本人に報いとして帰ってきます。
あの人のいってたこと間違っていた、つまらなかった、デマだった、となるといままでその人が紹介してきたこと、その人本人自体もやり玉に挙げられます。いわゆる炎上です。
そこに悪気などないのです。
本来なら、その間違っていた情報が責められはずのものが、紹介した、本人が変わりに報いを受けます。
紹介したときはすっきりします。いいことをした、いい投稿をした、わくわく、どんな反応があるかな、と人はうきたちますが、よい反応だけが返ってくるわけではありません。ともすると、情報が回り巡って妙な事になるかもしれません。
あ~~~紹介したい、この話をだれかにしたい!というときには、その成功心も活躍心も元から断ってしまうか、
紹介によっての報いが自分にどんな形でもいいから帰ってくることも、リスクも承知でなされればよいでしょう。