かわいそう、は快楽

投稿者: | 2019年11月6日

テーマが重いですね。

先日もすこし触れましたが、
人は「かわいそう」とおもったときに「かわりに」が走ります。

わかりやすい動画が、子供につきあってネットフリックスでアニメをみていたときにあったのですけれども
未来少年コナン、というアニメがあります。その4話がとても「ああ、このテーマドンピシャでわかりやすいなあ」とおもったので筆をとりました。

4話の10分あたりからがとてもわかりやすい
かわいそう→かわりに の道理が繰り広げられています。気になる方は御覧になってください。以下軽い説明です。

主人公がもう一人の少年と密航しました。密航したあげく、船員の食べ物をさんざん食べて、少年に限っては飲酒までして楽しみました。

密航がばれて、船長から「おまえら二人、尻を20回、ここにいる船員の数だけ叩いて、根をあげなかったらゆるしてやる、そうでなければ縛り首」という取引をもちかけられてしまいます。
もう一人の少年は酒によっぱらって、とても耐えれる状態ではありませんでした。
その時、主人公は、そんな状態でたたかれて、死んでしまう少年を「かわいそう」に思い、自分もその少年分の仕置きを「かわりに」受けることを了承し
それでほぼほぼ死にかけて寝込んでしまったわけです。
酔っぱらった少年は「なんでこんなことになってんだよ、密航したのはおまえのせいだからな」とその死にかけの主人を置いて、おかれていた食べ物も蹴っ飛ばして、逃げ出そうとします。

その少年は、主人公が自分をかばったと知ったとき、また、かわいそう、が走り、主人公の「かわりに」食べ物をたべさせたり、ケガを治そうとしたり、仕事をかわってやるわけです。

いまこのたとえの中で、3つ、「かわいそう→かわりに」が走りました。主人公は少年がかわいそうだから
自ら代わりに罰を受け、
視聴者は、そんな哀れな主人公をみて、
「お前のためにやったのにかわいそうに!」とかわりに怒ったり、悲しんだりします。
そして、少年は主人公の「かわりに」仕事をこなしていくわけです。
なにかをかわいそう、とすることは、「かわりに」なにか自分が活躍する(情緒がうごいたり、怒ったり、なにか受けたり)ことになります。

かわいそう、は美徳のようでもありますが、その時点で人を「下」にしています。障害を持っている人がかわいそう、年をとっているとかわいそう、子供でなにもできないのがかわいそう、うまくコミュニケーションをとれないのがかわいそう、計算やよみかきできないのをかわいそう、と自分より「下」にしています

かわいそう、というのはかわいいのです。かわいそうであればかわいくなるのです。

対抗心は人を自分の上に行かないようにするために走る心です。かわいそうはもうすでに人をなんらかの形で下にしています。

もう一つたとえを出しましょう。

マツコ・デラックスさんが、一時期あれほどみなに愛されたのは
彼が「かわいそう」だからです。かわいそうだから、かわいらしく、人は彼(彼女)をかわいいなあ、愛しいな、いいなと思い、たくさん相性をつけたのです。
おかまで、太っていて、恋人もいない
自虐的、マイナーの中のマイナーで、他のおかまからもちょっと嫌煙されている。
そんな彼(彼女)をみな、
かわいそうと思い、かわいそうだからかわいがったのです。
好意をむけたのです。権力に立ち向かう姿をみて、かわいそうな人が、強がってる、かわいい、とみなおもったのです。
それが今度、売れてきたり、権力にすりよったり、上からものをいうようになると
かわいいが、可愛くないに転化します。
かわいげなくなったよね…になるんです。

同じ様に相性がついたとしても相手が自分を「かわいい」とどこかでおもうかで好意となるか、悪意になるかは賽の目がふられます。

かわいそう、と思うのを美徳だな、とおもっているのであれば一度本当にそうか、考えてみてもよいかもしれませんね。

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