紹介、については以前も何度かかきました。補足をもう少ししておこうかなと思います。
「愚痴」も紹介です。
こんなことがありました(一部内容をかえています)。
「きいてよ、この間オーダーで枕たのんだんだけど、全然こっちの言っていた要望と違うの!高いお金つかったのにさあ!ちがうんじゃないの!とおもったけどお金払って出てきちゃった。もうあそこにはたのまないわ!」
とぷりぷりAさんは愚痴を友人に言います。Aさんとしては、もうそれは仕方がなかったこと、もういいや、と自分の中で折り合いをつけたことだけれども、どうしてもいいたくて愚痴ったのです。
話しをきいたBさんはいいます。
「え、それならいまから言ってお金返してもらったり、交渉したらいいじゃん。話が違うってだめもとでいってみたら!?」
言われたAさん「いや、いいよもう」となだめるもBさんはとまりません。
「他にそういった被害があるのをふせぐためにもそういう業者にはちゃんといったほうがいいよ、おかしいでしょ」
「いや、いいんだって!」
なんで私が責められなければならないの!?とAさんはBさんにイラっとします。
Aさんがその枕の業者を「愚痴」という形で「紹介」したことにより、その業者が受けるべき報い(ここでいうとクレームや、批判)をAさんが受けたのです。
こういうこと、よくあるでしょう。愚痴ってすっきりしたかったのに、自分が批判めいたものを浴びせられてしまう。紹介することで「かわりに」報いを受けるのです。
紹介、というのはその報いが欲も悪くも受けます。
それを受けてもいいのだ、という達観もって紹介するならまだしも、それで嫌な報いをうけたとしてもそれは自分でまいたことでもあります。
誰も悪い報いや批判を受けたくて愚痴を言う人も紹介する人もいません。
ですが、「紹介」というのは「かわりにうける」。
これを理解しておけば「愚痴ばかり言っているけど、気を付けよう」「そういう紹介してしまうような、つるつる話してしまうという妄執はいらない、不要だ」という意識になるかもしれません。