ひとをみるということ

投稿者: | 2017年9月1日

いつもごらんいただきありがとうございます。

占い師さんや、鍼灸師さんのクライアント様がとても多いです。みなさま、自分のことはみれないと言ってこっそりかよってきなさる。月に10人は来られます。あとはお医者さまですか。お医者様も負を浴びるのでやはりよく紹介だからといって連絡を取ってこられます。

そのたびに、みなさま、防御の術をおもちでらっしゃないなと思うのです。

ひとを見る、一日に悩みをお抱えになったひとをみるということは、その方の負のエネルギーをも受け取ってしまいます。よく見える方、よく霊視されるかた、そのぶんうけます。

まじめな占い師さんほど、努力をおしまず人を見ようとなさるので、さらにうけます。そして、大体いつか大きい憑き物に入られるか、エネルギーダウンを起こしてしまうのです。

どの師匠におつきになったのか、独学かはわかりかねますが、一番最初に、「魔」の対処法を学ばなかったのでしょうか。受けたときの対処法や、うけないための受け流し方など、これはとても大事なことです。細く、長くでもこの道すすんでいかれるというならば、実践された方がよいなあと思います。まあ、そんな相手からの攻撃など気にならない!もっとこっちが強くなればいい!そんなのすら取り込んで糧としてやる!というくらいのお気持ちと、覚悟があれば全然よろしいかと思います。なんどもいいますが、負すらも使いようという考えもございます。ですが、その胆力をお持ちでなければ、防御も対処も必要だと思います。

相手からの悪意や負を自分に取り込む、ということはまず、自分が悪意と負の塊であるという魂からの自覚と覚悟が必要です。悪意と負、その本体が自分であり、自分にくる悪意、これこそわが糧、ごちそうであり、それをつかって願望をかなえる、楽しく生きていく、というくらいの覚悟があるなら大変良いと思います。すこしでも人に嫌われると嫌な気持ちになる、人を傷つけるなんてためらいや葛藤があるという方、一般の方にはお勧めいたしません。

さて、わたくしがついた師匠はとにかくその祓い、だけを延々とこれでもか、これでもか、というほど教え込んでくださいました。どうしてもわたくしの家系は因縁が深く、つぎからつぎへと入ってくるものでしたから(いまは完全におりませんが)、錫杖のようなもので打ち付けられたり、寒い季節に川に入って祝詞唱えたり、水風呂突っ込まれて般若心境唱えたりと、まあ、今思い出すともっとましな学生時代を過ごしてもよかったのではないでしょうかと思うことを一通りやりましたが、その時教えていただいたことが今でも血肉になっております。

口すっぱく申しますが、霊一体でも中まで入られると大変ですから。入り込まれなくてもそのエネルギーうけるだけでも大幅ダウンですからね。

水晶やらなにやらもったからといって、それだけで安心なさらずに。ちょっと悪いものがたまったら凝るまえに浄化を。そして、いざというときのための戦う武器を。

守護、祓い清め、攻撃、すべて持って対応しなければ後からしんどいですよ?とくに電話で相手の声、相手の息吹受ける方は、お気を付けください。

明日はこのあたり、簡単な身を守る結界のお話しでもしましょうか。「じゃあどうしろっていうんだ!」とお思いになるでしょうし、身を守る結界法を知らぬ方もおおいでしょうから、簡単かつ実践的なものをいくつかおつたえいたしましょう。

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