浄化すること=願いをかなえること

投稿者: | 2017年9月1日

いつもごらんいただきありがとうございます。

大事な話があるぞ、と天界に呼ばれ、なんでしょうかといそいそ向かいましたら

「おぬし最近人に伝えたこと、あれは正しくもあるが正しくもない。祓い清めること、それこそが願いをかなえることぞ。願いをかなえるため、祓い清めるでない、祓清めそれが願いをかなえることと同じである。話が別だ。勘違いをしておる。祓い清めれば願いが叶うのではないのだ。祓い清めが願いをかなえることなのだ。」

とわかるようなわからないようなことを言われてしまい、わたくしの頭の中もうまくまとまりません。ですが、とてつもなく大事なことを言われた気がするので、まとまっていないながらもこうして投稿いたします。間違ったこと、天に沿わぬことを訂正なしに掲載するのはいかがなものかと思いますので。

祓い清めると願いが叶う、ということではなく祓い清める=願いが叶うことと同じ。

いつもこちらがわかりやすい言葉でおろしてくれる天界の言葉とは思えない難解案件です。なんとなくわかるのですが、説明するのが難しい。こういう場合はもう、わかるまで寝かせておきます。いつかわかるだろう、というあるいみ棚上げです。こういうことがよくあります。

一から十まで丁寧に説明してくれるときと、そのとき必要な言葉だけ降ろして、あとからああ、こういうことか、とつながることがよくあります。

経験してわからせようという愛情あふれたスパルタなのでしょうが、こたえにたどり着くまで難儀するときがしょっちゅうあります。教えてくれたらいいのに、というと

「少し自分で考えて、理解せねばこちらにすべて答えを求めるものではない。神は人をあやつらぬ、人の未来は人が決めるもの。人の未来どうこう言って、それに従ってほしいわけでなし、人はきちんと自分のことは自分で決めていくものだ。安易に頼ってばかりいたらいつまでたってもひとさまかわらん。神とてひとつひとつ教えておった時代もある。だが、こうせよああせよ、こうしたらこうなると教えても、人はそのうち耳ふさぐ。好きなようにふるまって、それでも生きていけることに気付いて好きになさる。そしてぎりぎりになってなんでこんなことに、といいよる。そして学んでいくものだ。なのでどの神もふつうそこまで人をどういうああせえこうせえはは言わぬようになってきておるな。逆にそれほど人様にこれせよあれせよ、しなくばこうなるなど吹き込むのはこれ天の意志に沿わぬものだな」

とおっしゃいますので、まあそういうことなのでしょう。

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