大分間が空いてしまいました。
世の中もばたばたしておりますね。
今年はいろいろなことがありますので、できるだけ精神を凍らせておくことです。
何かに怒り、不安になり、あれこれしなきゃ、あれこれため込まなきゃ!!と周りに振り回されると、どんどん自分自身が消耗していきます。
さて
思考の型、思考する心、というものを少しお話ししましょう。
いま結構みなさんに共通するテーマというのがあります。
それは「未成年の解放」です。
自分がかつて、未成年、学生だったとき、親に庇護されていたときに、
あ~大人になりたい、早く親から抜け出したい、自分で自由にお金をつかいたい、と願ったことがあるでしょう。
その衝動、心です。そのテーマを例に、思考とその仕返しについて書いていきます。
未成年は大人になろうとします。
どこからが大人か、線引きなどないものを
大人になったらもっと自由になれるのに、と解放されようとします。
といいながらも、未成年であること、に快楽が走ります。
解放されたいのに、解放されない障がいを頭の中でつくります。
大人になったら、こんなに楽しいのに、という思考をつくります。
たとえば、小さい子が亡くなるとよく、
「これからが楽しいのに・・」とみな思考しますが、どうですか
大人になってそれほど楽しく、かつて夢見たかのような楽園感はないでしょう。
それが大人になってから、こんなはずじゃなかったのに、という失望をつくり、くすぶるわけです。
大人はこうだ、未成年はこうだ、
これこれがこうである、という思考、というのがつまり「型」です。
子供を思い浮かべてください。高校生でもいいです。
ぱっと頭にうかぶものはなんですか
「子供の恋愛なんておままごとみたいなもの」
「高校生にはろくなスキルがない」「仕事させてもたいしたことができない」
「若いから自由でいい」
これらすべて「型」です。
ちょっと考えたら自分が高校生のときそんな風に感じてはなかったでしょう。
なにかを思考したとき
そうである、とこういうものである、としてしまうのが「型」です。
親についても、たくさんあるでしょう。
そういう型、そういう思考があるとどうなるか、というと
その仕返しを受けます。
「お金を稼がなければ都合が悪い」
という思考心があるとしましょう。
そうすると、
お金を稼がないと、いろいろ買えないし、便利でないし、都合が悪い、という思考に誘引されます。そう思考してしまう、型をつくります。
と、なると
「お金を稼いでなにか買ったとしても、都合がよくならなかった」
お金をもってして生活やなにかが便利になるようなものを買ったのに
まったく役に立たない!という事象があると
その思考と矛盾するのです。
お金を稼いだのに、都合が悪い、というのは
お金を稼がなければ都合が悪い→お金を稼げば都合が悪いというのがなくなる
というのと矛盾します。
矛盾すると、その仕返しを受け、その思考によって人は
悩み、もやもや、イライラ、とするのです。
お金を稼がなければ都合が悪い、という思考する「心」がなく、
そういう「型」がなければ、たとえお金をつかって、なにか失敗したとしてもそれがただの結果だな、とすらりと流せるのです。
なんとなく理解できますでしょうか。