死にたいと思うひとへ・・・またはその周りへ助言

投稿者: | 2023年7月10日

人が死にたいと思うときやその想念に取りつかれたときは、その事しか考えられなくなります。自分が死にたい状況にあるときや身近な人や近親者が死にたいと悩み苦しんでいる方に、今回、少し違う目線で真理を伝えられたらと思います。

死にたいと思う人にとっては、それが「正しい」とする思考、そしてプライドがあるのです。自分が死んだほうがよいことだ、世の中や家族にとって正しいことだと思考します。また、そうするべきというプライド心もあります。

正しい事をするときは貫くときです、人は脇目もふらずに突き進みます。正しいと思うから、そこにプライド心があるから相手と衝突したり、人と争ってまで正しいと思う心を通そうとするのです。正しいことをやり抜こうという時には、必ずそこにプライドがあります。
自分が死ぬのは正しい。間違っていない。そうであるべきと思考してしまうのだから、止まりません。
希死念慮とは言いますが、それが正しいとしている者を止めるのは大変労力がいることです。恐らく想像がつくかと思います。

ただ説得しても寄り添っても、正しさは止まりません。死ぬこと以上に生きて何かをすることが正しいという状況になるか、強制的な措置をとるか。今、死んだほうが正しい状況をひっくり返すことが起こらない限りなかなか難しいものがあります。それが正しいのですもの。

だからこそ、周囲の人が希死念慮に駆られた時に、自分が何もできない、できなかったと責めないでください。また、自分が死にたいと思ったときは、それが正しいという思念に支配されていないか。それを正しいとしていないか、一度立ち止まって考えてみてください。もし、自分では気づけない解らない時はご依頼ください。

希死念慮とは(suicidal ideation)

自殺念慮とほぼ同一の思考内容をさしています。これらの意味の差異としては、自殺念慮の場合、強い感情を伴った自殺に対する思考あるいは観念が精神生活全体を支配し,それが長期にわたって持続するのに対し、希死念慮では、思考あるいは観念として散発的に出現する場合を指すことが通例であり、「消えてなくなりたい」、「楽になりたい」などが希死念慮の具体的な表現型です。

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