先祖供養と魂のおはなし

投稿者: | 2024年5月28日

前もかいたかもしれませんが、最近先祖供養についての問い合わせが多いので、再度書かせていただきます。

祖先、先祖供養というものは、基本的にぎりぎり4代前までがご自身に影響するかどうかの範囲内です。
自分からみてひいおじいさんおばあさんくらいまでの「ぎりぎり自分と同世代生きているかどうか」が一つの目安です。
それ以上の祖先になると本人への影響はほぼほぼ薄れてきます。
いくら子々孫々まで祟ってやるなどいっても
その本人の血はどんどん薄くなり、
薄くなるということは影響もなくなってきます。
それ以上前の先祖がいくら未成仏であっても、自分自身には影響しません。

そして父方母方かかわらず、未成仏の先祖霊というのは、いわゆる魂がなくなって妖怪にまでなって
はたからみると悪霊のごとくこの世にとどまっているものを指します。
本来魂がたっぷりあれば、すぐ生まれ変われるのです。
よく前世をおぼえている子供がいますが、たいてい早いうちになくなって、魂が消耗するまえにうまれかわっているためにさくっと同じ年代にうまれかわることができます。
魂の消耗があると、それなりに供養やらなにやらしてもらって、魂の満ちるのをまって、生まれることになりますのでそれなりに時間もかかります。
また、本人が子孫の行く先をみたいとこの世にかじりついても遅くなりますが、
この世に未練もなく、魂もたっぷりある霊はさっさと輪廻の輪にはいって次にいって赤の他人になりますので
そういった霊を先祖供養しようともなんの効果もありません。

悪霊のごとく妖怪におちた、魂が消耗してしまった先祖というのは、もうよすがが子孫にしかないので、
子孫に「守護霊」を気取ってとりつきます。そして子孫の役にたって魂もらおうとしますし
供養しなければなどと想念をまきおこして、自分を満ちようとするわけです。信仰をあつめるがごとく
「自分のところに思いをよせてくれ、供養してくれ」と子孫から魂もらおうとしますので、まあ影響がないわけではありません。
勝手に子孫の役にたってやったぞとばかりに魂もってたり吸収しようとしたり、
たすけてくれそうな子孫のところにいったりすることはあります。
先祖にまもってもらおうなんぞ思うと、この因果に飲み込まれます。
自分は自分、先祖は勝手にどうぞ、くらいに完璧にわりきって家でもでていて家系の恩寵もなにもかもすてて自分で生きていけば影響力は薄くなります。
親兄弟姉妹、家族というものや、そういうものに執着すれば、影響を受けやすくなります。

霊の立場になってちょっと考えてみましょう。魂が少ないので、お迎えもきません。お迎えがこないまま、なにかに執着して、周りはほぼぼんやりとしか見えず、どうしていいのかわからない。そんなときにかすかな記憶のある自分の子供、あるいは孫、そういうものが認識できたらどうですか。そこにすがろうとしませんか。自分をどうにかしてくれないか、あるいは寂しいからそばにいたいとそこにいようとしませんか。あるいはなんでなにもしてくれないんだ!供養にこい!墓参りにこい!なんて怒ったりしませんか。霊的に敏感な方だと、その思念をうけて「じいさんが墓参りこいって枕にたつんだよね」ということになるかもしれません。枕に立つ時点で、「輪廻の輪にはいれてない」霊です。こういうのは対処したほうがいいです。夢にでてこないほうがいいのです。満ちた魂なら次の世にストレートに行くことができます。

ご先祖様に感謝するのはいいですが、守ってください、見守ってください、受験たすけてくださいなんていうお願い事はしないほうがよいです。それによって「とどまる」ことになり、「とどまる」ことで停滞したり、魂が消耗して満ちるのを妨害します。

先祖を供養したいなら、亡くなった方をそばにいてほしい、守護してほしいと求めずに、「魂満ちてつぎの世にいってほしい」と送り出すこと。それを意識なさるだけでもかわってきます。お試しください。

未成仏の先祖がいるかどうかなど、気になる方はまたご依頼くださいませ。