だれかと付き合いたい、だれかの好意をひきだしたい、営業につなげたいなら
他人に快楽を与えることです。
男性が綺麗な女性のいうことをほいほいきくのは、あるいは美男子に対してほいほい貢いでしまうのは、お金もちがもてるのはその真理は、
綺麗な異性とふれあったり、おしゃべりすることや、お金をつかった遊びや散財、美食で
快楽、ここちよさがあるからです。
べつに綺麗な異性でなくても、自分の話を聞いてくれる、
自分をものすごい立ててくれる、自己肯定感をあげてくれる人でもいいです。
自分より劣っているものをみても快楽というのははしるので、
劣っているものをそばにおいてはなさない、執着してしまう人もいるでしょう。
顔が好みでなくても、自分をものすごく人間として価値があがったようにしてくれる人は
みなそばにいたい、その人に対してきもちよくなるのだから、
ちょっとやさしくしたり、いいようにしたくなったりするのです。
よくあるトラブルですが、会社やお客さん、家族などで、いった言わないの水掛け論になって、相手から自分が悪いのだと叱責されたり、理不尽なことを言われることがあるでしょう。
自分は悪くない、自分は悪いことはしていないのに、相手から理不尽に責められる、そういうこともあるでしょう。その時になにがおこっているのかというと、相手も自分は正しいというプライドがある、こちらも自分が正しいというプライドがある。
そういうプライドとプライドの戦いがおこなわれているわけです。そうなるともう、「実際なにがあったか」よりも、自分のプライドを守るため、相手をへしおるか、相手にへしおられるか、そういう次元になっていきます。えてしてそういうトラブルがあったときには、どんな結果になろうとも最終的にお互いもやもやや苦しみを抱えることになるのです。そしてたいてい社会的に弱いほうがつぶされます。正しさを証明するための何かをかかげても、相手のプライドを折ったことで、相手に傷をおわせ、しこりを残します。
なればこそ、大したことでなければ、相手に快楽を与えて気持ちよくさせたほうが、最終的に自分のためになると割り切ることです。そこで自分の正しさを証明しても、どちらにしても相手には恨みつらみや、恥をかかされたという傷しかのこしません。自分のプライドを守るために相手とぶつかり、のちのちまで居心地の悪い状況をつくるよりも、「相手も正しいとおもってまげないのだから、譲ってきもちよくさせてこっちに好意をもってもらったほうがいいや」とわりきるのも一つの方法です。
相手が何に快楽を得るのか、それをうまくつかんで気持ちよくさせることによって、相手はこちらに好意をもつものです。好ましいとうつるのです。
自分がもてない、あるいは他人に好意をもってもらえない、嫌われるという人は「他人に快楽をあたえる」というところをのばしてみてもいいでしょう。
相手がなにをもとめているのか、話を聞いてくれることをもとめているのか、ストレスのはけ口として愚痴を聞いてくれるのをもとめているのか、すごいね、と言われるのをもとめているのか、素直で従順なイエスマンをもとめているのか、それを見定めるのもいいでしょう。自分が綺麗になれば好かれるのだ、自分が優秀になれば好かれるのだ、と自分にばかりベクトルと努力の方向をむけるのではなく、他人をここちよくさせる、という手段も身に着けてもいいと思います。
一部曲がった快楽を持っている人(人を傷つけたりなど)にはきをつけてくださいね。