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さて、東京の快楽のお話しです。
快楽というのはなにか。もしかして以前書いたかもしれませんが、自分の外にあるもの、人を選ばないもの、対価すらはらえば簡単に手に入るもの。ともすれば罪になるもの、記憶にのこらないものです。
喜びは自分の内側から出でるもの、いつまでも記憶にのこるもの、思い出すと幸せを感じるものです。
本来、人は自分の内側に喜びを生み出せる、内側にすべての幸せがあります。
アダムとイブももともと楽園にありました。それをそそのかし、禁断の果実を食べたことで、彼らは楽園をさり、外の世界にいきました。
このエピソードがすべてを物語っています。内側の喜び、楽園を捨て、「外」に快楽をもとめる。それが東京の快楽と神様がたが名付けられた因縁です。もともと人はアダムとイブの時代から外に快楽を求める煩悩はありました。それをさらに強まり、強制力を得たのが東京の快楽という煩悩であり因縁です。
開国によって「外」からすごいものがきて、「外にはすごいものがある、いいものがある。こんな内にないようなすばらしい世界がある」と関東一体の人間は知ってしまったことにより、外によいもの、快楽をもとめるその因縁を作り上げてしまいました。
それによって東京は自分の内ではなく、外によいものがあると人の心に因縁を生み、喜びを失い、外に快楽をもとめる状態を作り出してしまいました。そしてそれは日本全国に伝わります。「東京にいけば仕事があって、お金がたくさんかせげる」「東京にいけばなんでもある」「東京にいけばいい生活ができる」そういう煩悩を人の心にうみつけ、集めてしまったことそれが東京の快楽の因縁です。
おかげで東京は常に次のもの、新しいもの、快楽をつくりつづけるようになりました。
人がその快楽をもとめるもの、その煩悩をもつとどうなるか。それは外にいいものがある、そう無意識におもいます。ここでない、外にいいものがあるとおもい、内側を蔑ろにします。妻という内側はつまらない、外にはいいものがあると浮気をし、内側にはなにもない、寂しい、外にはいいものがあると流行にながされ散財し、外のものはよいと調達できるもので楽しみを得ようとします。
楽しみを得るためには対価がいります。もっともっとと楽しみを得るにはお金が必要。そうなるとお金をもっともっとと思います。それが欲につながり、ビットコインやら投資、FX、なにやらあたらしいもの、儲けそうなものにたやすくながされ、欲に支配されてともすると手痛い目にあいます。そして大抵快楽というのは記憶にのこりません。その対価でえた快楽を思い出してください楽しかったですか?記憶に刻み付けられていますか?小さいときのちょっとした喜びや、仕事で喜んだこと、家族やパートナーとちょっとした楽しみ、そちらのほうがながされて食べたホットケーキや流行だからといって買いあさったなにか、幸せになりたいと外に幸せをもとめて買ったパワーストーンのおまもりよりも心に刻まれていませんか?
快楽をもとめると、喜びが失われます。もちろんお金も失われて欲に走ります。
そして不安を解消できるとおもって、たやすくなにか快楽でみたそうと散財なさります。それでは埋まりません。
埋まるのはただ内側のみです。