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たまに頂戴する質問で
「自分の中の執着とか、闘争心とか祓っちゃったらどうなるの。やる気がなくなっちゃったり、好きだって思う心もなくなってしまうのか、それならいやだ」
というのがあります。どう説明するのがよいのだろう、どうなんだろうと思ったときに、天が見せてくれた夢があります。
普段そういった悪意、悪魔、煩悩というのは、透明な犬を飼っているようなものです。
自分の中にあるんだかないんだかわからないものです。
首輪もついているし、手綱もある、自分のものではあるのだけれども、姿も見えず、エサや排せつ物もありません。
人が着ても、はて、なにぞ飼ってるような雰囲気はあれども見えない。なんかいるなと敏感な人は悪意っぽいものを感じるけれども姿は見えず。
普段仕事をしていても、普段勉強していても、
透明な犬がそこにいるとはわからないし、気にもしないでしょう。
ですが、
その犬に鏡があたったとたん、犬自身が吠えます。吠えて凶悪に光や鏡にうつった自分に攻撃しようとします。鏡があればその姿が浮き上がります。そしてその鏡に対してかみつき、暴れ、どうしようもなくあらぶります。
だからこそ、「あ、そういったものを飼っていたんだな」と人は気づくようなものです。
普段はまったく透明でみえない。生活にもずっと支障がなかったでしょう。とくに変わったことなどありません。
鏡にうつった、つまりおなじものをもっている相手がいたからこそ反応して牙をむくんです。
その相手とは同じものをもっている人間であり、仕事や勉強、そういったものは鏡にもなりはしません。その犬がとれたら鏡をみてもなにも感じなくなるだけ。
そこにやる気があるかないかなど関係ないでしょう。
そして、鏡にうつった自分自身をみたとたん、これまでなにもなかったの相手にとびかかるのです。鏡の中の犬もまた同じ。
だからこそ同じ悪魔や悪意をもつものたちは、お互いあらぶり、かじりあい、傷を付け合うのです。
これらの犬を一体でなく、何体も飼っている。だからこそ様々にトラブルになるのです。あなたは何にかみつきたくなりますか。なにに牙をむけますか。その必要ないものに、理由もなく敵意をむけたり、あれはやだ、これはだめだと見下していませんか。それが悪意です。
得したい、自分が買ったものより値段が安い店をみつけて傷つく、むかつく、イライラする得心。
人を支配したい、人を哀れだ、下だと思って見下し、見下すために、上下つけるためになにぞ褒美や物、情報を与える託身。
様々なものを自分の中に飼っている。それに気が付けるかどうかです。