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人を捨てることがあります。
これは恋愛でも子でも、親でも夫婦でも、自分が耐えることができない、もうやってはいけないと踏み、相手を捨てることです。心の中だけで切り捨てるのか、それとも実際捨ててしまうのか、子であれば降ろしてしまうのかは問いません。捨てるまでの葛藤。懊悩、苦しみはもちろんあるでしょうが、捨てたのは捨てたのです。
誰かを捨てる、ということは誰かをすくうことで帳尻が合います。
自分がその方を切って捨てたのであれば、その方の人生が救われること、あるいはだれか他の方の人生救い、その徳によって捨てた相手に恩かえすことで帳尻があいます。そうでなければそれは滞納となって運命が流れていきません。
じゃあだれかに捨てれらたらどうなの、というお話ですが前も少し書いたかもしれませんが、捨てられたら何かしらの形で新しい縁はできます。捨てられたことでその恩がはたらくからです。
その縁が果たして自分の望む縁そのものではないかもしれませんが、なにかしらの縁はできます。
「あいしょう」というものがあります。
これは惹かれるものにはどうしてもひかれあう、そういった運命みたいなものです。そしてその運命は自分の魂の中にあるものによって作られます。惹かれてしまう、惹かれ合うものがよくないもの、結果的によくなくなっていくものというときには、自分の魂の中にあるものが罪穢れが重いのです。だからこそ、自分の「あいしょう」を変えていくためには内側を祓っていかなければよくならない。
それは仕事でも恋愛でもそうです。惹かれてしまったご縁ができ、深くまじりあってしまったら運命のルートができてしまい、そちらにどんどん流されて行きます。
流れをかえるというのも大仕事です。