相手を求めることは実は

投稿者: | 2018年10月30日

いつもご覧いただきましてありがとうございます。

天には真理をいくつか降ろしていただいておりますが、その中の一つのお話です。

「相手を求めることは禁行為である。相手のすべてをと求めてなにぞ魔術でも縁結びでもかまわぬが、人がなすことこれ禁行為である。また、相手を無理に求める事もおなじ。運命それを許したら夫婦になれる。運命一つになれる。

相性があって、運命あれば自然と引き合う。引き合わない運命を、もらえぬものを無理に求めるのはこれ禁行為である。

相手を求めて夫婦になるのが救いではない。引き合うのも運命もすべて人がより進化していくためのものであり、むりに相手自身を求める事は禁行為である。夫婦とは救いではない。不自由という、妻という夫という顔をつけることになる。本来は夫婦となるは夫婦で一つの神の名をもらうことであり、運命を一つにすることである。夫婦は相手と見合うものであり、相手をみて己をみるためのものである。救いではない」

結婚して、結婚すれば幸せになれる、結婚できますか、とよく相談があります。自分だけが回りと違って結婚していない、経済的な不安もあって、したい、というのはわかります。また、夫婦になってももうどうしようもなく夫が憎い、妻がいやだ、でも離婚ができない、どうしたら、という相談もよくあります。

夫婦も、独身も、それは救いではないのです。運命が許したら夫婦になれますし、なれない、ということはなにかしらがあるわけです。自分で独身をきめてきた魂も多々あります。

求めない、というのは別に婚活など出会いを求めない、ということでは当然ありません。自分に見合う相手を探すのは良いことです。出会いを求めることは禁止していません。

ただ、相手に惹かれても、相手が惹かれてくれない、そういった相手を無理に求めるのは禁行為、ということでしょう。

わかっていてもしてしまうのが人の常ですが、無理に縁結び!彼とじゃないと!と思って躍起になることは、それはまた自分の魂を重くしていくことでもありますからお心に留めておかれるだけ置かれてください。

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