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先日の記事でも書きましたが、人というのは「進化したい」というのが根底にあります。たとえいまの世で進化できない魂だとしても、進化したい、というのが根底にあるからこそ、同じく進化途中のものにどうしようもなく共鳴するのです。
ドラマでも、漫画でも、創作物でも、人でもかまいません。進化している、これから伸びていくものに人は共感し、共鳴し、ともに上がりたい、行きたいと思う。一方で、完成されすぎたものは、美しいな、と感動しても、それ以上はありません、心を揺さぶりつづけ、ともにありたいと思うのは発展途上のものです。
よく「自分はまだまだだから、世の中に作品なんてだせない。」「もうすこし完成してから」「ちょっとあらがめだつし、人にだせるものではない」という方がいらっしゃいます。自営の道を志し、やっていこうと思うのに、まだまだだ、完成されていないと世の中に出していかない。
完成していないものだからこそ、人はまた見たいと思うのです。
完成していないからこそ、人は共感し、自分自身を奮い立たせ、よくもわるくも評価されるのです。
完璧すぎるものは批判もありませんが、よくできているね、すごいね、で終わります。不完全なものは不完全、というのだけで人を引き付けるのです。なぜならば人は不完全な存在だからです。
憎しみがあり、怒りがあり、悲しみがあり、傷があり、苦しみがある。
だからこそ不完全であり、不完全なものに共鳴します。
もしあなたが作品を作るのであれば、不完全な自分自身をその作品に投身することです。
歌であれ、瑕疵であれ、物語であれ、自分自身を表現することです。
同じものを持っている人はそれをみてなにかしらひっかかります。
いくら上手で素晴らしい技術をもっていたとしても、共鳴しなければひっかかりません。