私は、夢の中でちょっと気になるお店があるみたいで、自転車に乗り目的地を目指して進んでいました。ただ、店の行き方が解らないのか、ウロウロして探したり道行く人に店の場所を聞いたりしながら進んでいました。ある程度進んだところで、お店に行くには、断崖絶壁の細い道を行かなければならず、しかもその道が正しいのかどうかもわかりません。もし道が間違っていれば、引き返して別の道を見つけて進まなければなりません。当然、断崖絶壁なので、今乗っている自転車置いて行く方が賢明です。
それなのに、夢の中の私は自転車を手放したくないという思いに支配されていました。自転車手放さなかったら、断崖絶壁の道を進むには、場所によっては自転車を担がなければなりません。その断崖絶壁の道を楽に進むには自転車を落として捨てるか、その場所に捨てて行けばよいだけなのに。崖の下の通行人にぶつかるかもしれない。それによって私は犯罪者や悪人なってしまうと思っていました。でも、どう考えても断崖絶壁の細い道は自転車で進むには適しておりません。捨てるのが最良の方法にも限らず、捨てられず。自転車重いな。体力的も辛くなってきたなと苦しんでいたのです。
はっと!?朝、目が覚めて、これは人の悩みそのものだなあと思いました。
目的のお店だって、必ず行かなければいけないほどのものでもないですし。でも、せっかくここまで来たからにはお店に行かないのは勿体ない。自転車だって、いつか便利な時もあるかもしれないと考える。でも、自転車が無ければ歩けば良いだけの話ですし、道が間違っていれば、正しい道を探せば良いだけの話です。
さて、選択肢が多いということは、選ぶという苦しみが生まれます。何かを選択したらある程度のゴールまで進まなければならないのに、クライアントさんからのご相談は、道の途中であることが多々あります。自転車を手放すにしても、手放さないにしてもメリットとデメリットがあります。手放せばその時は楽です。手放さなければ断崖絶壁を乗り切った後、楽になるかもしれません。そう、どちらにせよ選択したら区切りがよい段階まで進まなければなりません。どちらにするか悩まされていること自体がこの世の苦しみなのです。道の途中でどの選択肢にするか悩み立ち止まっている状態なのです。
さて、これは妄執や執着から生み出されるものです。選択はどちらも良いのです。後工程が楽になるか、今が楽になるかの違いでしかありません。
今回は私の夢を例にお話ししましたが、現実世界の自転車は、恋人やパートナー、友人や自宅、土地、親族の遺産、会社だったりします。これらを手放すのか保有するのか。人々は往々にして悩み苦しみます。答えはどちらでも良いなのに。マストのものを手放すという話ではありません。迷いがあるということは、実はマストではないのです。
人生において手放すことで楽に生きれることはたくさんあります。むしろ、抱え込むということは、それだけ背負い苦しむことが多いということをご理解ください。
当社では、手放せない妄執や執着を外すサービスを提供しておりますので、いつでもご相談ください。