霊能者になるための修行について問い合わせがありましたので、今回は、修験道の修行者が行う修行の意味について解説したいと思います。修験者(しゅげんじゃ)とは、霊能者になるため神通力や霊力などの人知を超えた力を得るため山奥に籠り、山にある神が宿るとする木や岩などの自然物を拝みながら山中を駆け巡り、厳しい修行に挑むと一般的には言われております。
実のところ、修行は神通力を得ることではありません。日本神道や仏教に属する者は特にそうですが、魂が無いものが多いのです。山奥の大自然の中で修業を積むということは、魂の消耗を抑える事と回復する方法となります。ですから一般的に霊能者や超能力者など人智を超える力を得るものではないと理解してください。
山奥を神域とし女人を禁止するのか、それは快楽という魂の消耗を抑えるためです。この世において男女の恋愛や肉体関係というものは、沢山の快楽を得ることができます。ただし、快楽というのは魂の消耗が激しいものでもあります。彼氏彼女とのデート後や肉体関係の後、甘いスィーツを食べた後、友人とカラオケやショッピング、旅行を楽しんだ後など、体が脱力感に襲われたり、何もやる気が起きなくなりませんか?快楽は悪魔が引き起こす現象です。魂のジンに共鳴を通すことで快楽を得ることができます。当然、本人は快楽を得たのだから、悪魔はたくさんの魂を持っていきます。
そう、修行というのは魂が無い者、少ない者が俗世間から隔離し快楽を得ないように魂が消耗しないようにする一つの方法なのです。なので、そういう場所、山奥や神域とされる孤島などは女人禁制であることが多いのです。男性視点から見れば女人禁制となるでしょう。女性視点から見た場合は、男子禁制となるかと思います。どちらも真意は魂の消耗を抑えるものです。
ですから当然、ヨーロッパ諸国やアメリカなどの日本から見て西側に位置する国々に修業という文化がないのは当然のことなのです。西側に住むものはたくさんの魂を持っているものが多く住んでいます、なので、薬物や男女の肉体関係や恋愛、結婚、離婚、音楽、スポーツ、ギャンブルなど快楽産業が盛んです。すなわち快楽というのは、一般的に「幸せ」と言われているものです。
幸せになりたいということは、快楽を得たいということと同義なのです。なので、教会では、快楽を得て魂の消耗を抑えるために罪というものを作り抑制しています。そう人は罪だと言われれば行動がセーブされるはずです。
世間ではよく、脳内でドーパミンがじゃぶじゃぶ出るとも表現していますが、脳内麻薬の真実は快楽の悪魔です。当然、魂に悪魔が無い者は快楽がありませんので修行することや男女の肉体関係などの快楽を禁ずる必要もありません。行為によって魂が失われるのではなく、悪魔や妖怪が魂にあることで魂がより失われるのです。
よく仏教の信徒やお坊さん、修験者、神道の神主さんは修行により煩悩がないのでは思っている方も多いでしょうが、実は逆です煩悩や妄執が多く魂が少ないからそういう役についているのです。
人智を超えた力というのは、人の魂を悪魔妖怪が使って相手を操ったり、悪魔妖怪などの声を降ろしたり、相手と運命を作ったり目に見えない事象のことをいいます。妙なるもの奇跡ともいいます。また、勘所(第六感)が良くなるともいいます。ただし、失楽園の人智は魂に神が宿るものには一切の効力はありません。呪うこともできません。あくまで人智超えた力というのは失楽園の中だけの話なのです。
皆さんが修行をし人智なる力がほしいと求めるのであれば、それは魂をたくさん持たなければ得れないものとご理解ください。魂をたくさんもつということは、それだけ信仰を集めるか人の役に立つか、はたまた消耗を抑え、精あるものを食す必要があります。何も山の奥で厳しい肉体的鍛錬を積むことではありません。
ただし、住む場所については考慮する必要があります。東京や名古屋、大阪、京都、仙台、博多など大都市と言われる場所に住むのは控えたほうがよいでしょう。魂に悪魔や妖怪が無い者であれば住む場所に制約がありませんが、一般的な話をすると大都市は魂の消耗が多いです。それだけ大都市は快楽が多いということです。
「在」と「無」い
“being” and “nothing”
最近、霊能者になりたいというご相談がありました。どんな修行をすれば霊能者になれるか。結論から言いますと見える人は見えますし、見えない人は見えない。その人が生まれもっと特性みたいなものです。特性を持っている場合は、その特性を伸ばすことはできますが、無い特性を伸ばすことはできません。すなわち0を1にすることは出来ないのです。ギャンブルの才能がないものが、ギャンブル運を伸ばすことはできません。ただし、手が器用で何かしらの作品を作れる人は、その技術を伸ばすことができます。霊能力も同じです。霊能力を持って生まれてきたものは、霊能力を伸ばすことはできますが、無い者はないので、そこは割り切って別の道を選択することをお勧めしています。
その特性を持って生まれる人の条件や要因については、別のブログ記事で解説いたしますので、ここでは割愛させていただきます。また、霊能者の特性を持って生まれること、黄泉の国の者を見聞きできる能力が必ずしも幸せで楽に生きられると限りません。どちらかというと苦しい人生が多いようです。霊能力も魂の消耗が激しいのです。