いつもごらんいただきましてありがとうございます。
前回と間が空いて申し訳ありません。少々依頼などが込み合っておりまして、ブログにさく余裕があまりなく…(汗)。
お声神様からおろすのにも気力集中力必要で、クライアント様はおわかりかとおもいますが、長文返す癖がありますゆえ、一つのお返事に時間をかけたり、合間合間に浄化したり云々していたり、施術するとごっそりいろいろもっていかれますので、休み休みしておりましたらあっというまに時間があいてしまいました。
しかも今回は前回の続きではありません。すいません。前回の続きの記事はそれこそ重いテーマですので時間のあるときにゆっくり書きたいと思います。
本日は依頼の最中に降りてきたことなど、シェアしたいことを断片で書こうと思います。
「怒りがあれば魂破壊し、妄執あれば膿む」
神様におろされた言葉です。己の中に怒りがあれば、人の魂を破壊し、そしてその返しで自分の魂も破壊されます。これが大きいとこわれて魂にさらに穴が開いてしまい、悪魔悪意・妖怪などがどんどん入ってきます。
怒り、憎しみがつよければその人のたましいはすかすかになっていきます。そうなると、ますます運気が停滞し、気も短くなり、疲れやすくなります。怒りをぶつけた相手に恩を返し、その怒りをぶつけてしまった不実を心から反省し、許しを願い、悪意を祓い、その出来事が起こる前に立ち返って、罪を祓い清めていただき、相手を傷つけた分を徳もってして詫び、自分の魂も返していただくよう願ってください。
妄執があれば魂に膿がたまります。どろどろににごったものがたまります。これは悪魔の大好物ですし、これの恐ろしいところは実際体のどこかにも炎症がおこります。執着つよければ膿がたまる。体からの声もきいてください。蓄膿や、膿瘍、はぐきなどの膿み、そういうものがなかなかなおらない、副鼻腔炎にしょっちゅうなるというときには、なにかに執着していないか、そのあたりもたちかえってみてください。体だけでなく、たましいの膿み出しもなさってください。
「お金は、神が人におろしたものだ。人が神の証をもとめたからだ。神にねがった、神徳として証がほしいと人が望み、それが富として証されたものだ。めにみえぬと人はわからぬ。人はそれをわすれ、あるいはそれをわからずに、証で証を増やそうとする。それは禁止された行為であること、これ忘れてはならぬ。対価として、労働の証としていただくものである。人はお金に飼いならされている。
約束を天とするのだ。天は悪意をもつもの、悪魔を対価持って祓う。不実あれば罪をおとす。お金は愛をもって、その証としてお金を愛すること。愛するものとよくなるためにつかうこと。以上のことを天と約束することで、お金に飼いならされずに済む」
仮想通貨や投資などは神様からみてどうなのかときいたときのお話です。13世紀まで、キリスト教ではお金を貸したときに利息をとることを禁止しておりました。それによって、富の格差が起こることや、争い、不浄がおこるからです。それを人が勝手に利息OKにしたり、お金でお金を生むフローを作り出しました。そして人はおかねに飼いならされてしまうという因果をもつにいたってしまいました。
あまりそれはよくありません。対価の証として、進徳の証として、富はあるのですし人は身の丈に合う分をきちんと天からいただけるように、欲や穢れを祓っていき、己の提供できるものを提供していくことです。そのための努力をなさることです。
お金に対してネガティブな人は、きちんとそのあたり解消なさっていってください。そして、飼いならされないために、愛もって愛する人とよくなるために使うこと、対価もってその証もって悪意悪魔はらうこと、それをきちんと神様とお約束して、有効にお使いになってくださいませ。